1.時代区分と弥生土器の編年

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 我々は、この時代の変遷を理解しやすくするために、前・中・後期の3期分類(前期以前に早期を加える考え方もある)のほか、土器についてはⅠ期~Ⅴ期に至る分類、畿内については弥生時代前期を畿内第Ⅰ様式(古・中・新あり)、中期を畿内第Ⅱ・第Ⅲ(古・新あり)・第Ⅳ様式、後期を畿内第Ⅴ様式とする分類もある*146。今日までの研究によると、先のⅠ期初頭には北九州において弥生文化が成立し、その最初の土器として板付(いたつけ)Ⅰ式(福岡市博多区板付遺跡出土の古式土器を標式として命名)が出現し、次の板付Ⅱ式土器の時期に入ると、文化圏が拡大して中国・四国から近畿地方にまで広まり、畿内では唐古Ⅰ式(奈良県田原本町の唐古鍵(からこかぎ)遺跡出土土器を標式として命名)を生じ、さらに板付Ⅲ式土器の段階では、弥生文化は伊勢湾を越えて愛知県に到達するが、当時の東日本はまだ縄文時代晩期であり、特に東北地方の北部は、西日本の弥生時代中期初頭のころでも、縄文の世界であるという考えが根強く、またその考えが研究者の支持を得ていた。
 東北地方北部の弥生文化に関する研究は、伊東信雄を嚆矢(こうし)とし、氏によって縄文時代晩期終末の大洞A’式に続いて、谷起島(やきしま)式(岩手県一関市谷起島)→志藤沢(しとうさわ)式(秋田県南秋田郡若美町)→田舎館式(本県の田舎館村垂柳)→常盤(ときわ)式(岩手県水沢市佐倉河)土器という編年が提起された*147。その後、伊藤玄三によって新たに発見された資料を追加し修正がなされた*148。一方、本県では橘善光による編年が次のように試みられた。(弥生中期)五所式→二枚橋式→宇鉄式→田舎館式→(+)→(弥生時代後期)念仏間(ねんぶつま)式→鳥海山式→烏間(からすま)式*149、近年は、(弥生時代前期)砂沢式→五所式・二枚橋式→(弥生時代中期)宇鉄Ⅱ式・井沢式→田舎館式→(弥生時代後期)念仏間式→天王山式(鳥海山式)のほか、(1期)砂沢式→(2期)五所式・井沢式・二枚橋式→(3期)宇鉄Ⅱ群→(4a期)田舎館2群→(4b期)垂柳Ⅲ群→念仏間式・大石平Ⅰ群→鳥海山式・大石平Ⅵ群2類という編年も考えられている*150

図21 弥生時代の遺跡・遺物
完掘りした2号水田跡…弘前市・砂沢遺跡


遠賀川系壺形土器…
南郷村・松石橋遺跡
(南郷村歴史民俗資料館蔵)


遠賀川系甕形土器破片…
弘前市・砂沢遺跡


遠賀川系壺形土器…
名川町・剣吉遺跡(青森県立郷土館保管)


砂沢式(二枚橋式系)甕形(広口壺形)土器…弘前市・砂沢遺跡


五所式台付浅鉢形土器…弘前市・砂沢遺跡


宇鉄Ⅱ式末広口壺形・甕形土器…
三厩村・宇鉄Ⅱ遺跡
(青森県立郷土館蔵)


天王山系甕形土器
弘前市・砂沢遺跡