(3)弥生時代の土壙墓

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 弥生時代に入っても、死者に対する葬法は土葬が主体的であり、それに関する遺構としては土壙墓がある。現在までに発見されている当該遺構の代表的なものは、津軽半島の突端に近い東津軽郡三厩村宇鉄字下平に所在する宇鉄Ⅱ遺跡と、下北半島の陸奥湾に面した下北郡川内町の板子塚遺跡である。
 宇鉄Ⅱ遺跡は、昭和50年(1975)9月を第1次とし、3次にわたり発掘調査が実施され、さらに昭和62年(1987)8月にも、追加の第4次調査が行われている。第1次から第3次にかけての調査で544m2が発掘され、弥生時代中期前半または弥生3期の宇鉄Ⅱ式土器期の土壙墓1基と甕棺1基、同時代中期後半(4a期)の田舎館式土器期に属する土壙墓3基と甕棺1基、北海道の続縄文文化期前半の恵山AB式土器期5基等であり、そのほか土壙相互の切り合いによって、明確に時期判定のできない土壙を加えて19基が発掘されている。これらの土壙墓は平面の形が楕円を呈し、長軸の方向は大半がほぼ東西の方向をなしていた。土壙墓内からは、副葬品の土器・管玉・勾玉・丸玉・石鏃・靴形石箆等が出土した。中でも第14号土壙墓(田舎館式土器期)は、187cm×120cmの径を有する楕円形(卵形)の土壙で、底面の中央に朱が広がりを見せ、その上面から375個の碧玉(へきぎょく)製細形管玉や硬玉(翡翠)製の丸玉1個とともに、径35cmと20cmの礫、並びに土器破片などが出土している。そのほか3号・5号・22号土壙墓(恵山AB式土器期)からカップ形土器、12号(宇鉄Ⅱ式と恵山A式土器期)では壺形土器4個・鉢形土器5個(この中に台付きとボール形が各2個ある)などがセットになって発見されている*220。追加の第4次調査では、2基の土壙墓が見いだされ、これらの土壙の中から甕棺も出土し、特に1号甕棺から2個の細形管玉が、倒立して発見された2号甕棺(2個)からは石銛6・細形管玉2・ナイフ2などの副葬遺物が検出されている。
 板子塚遺跡の場合は、土壙墓と認められる遺構が10基発見され、それらの中から土器(弥生時代後期=4b期)・石器(石鏃・磨製石斧・スクレパー)・石製品(翡翠製勾玉・琥珀製玉)などが検出され、特に第8号土壙墓(不整方形)から130本にのぼる石鏃が中央部付近で出土し、北海道の続縄文的影響が強く感じられる*221。なお、当遺跡のこれら遺構については、脂肪酸分析を依頼しており、その結果が待たれている。