(1)石棺墓

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この遺構は、扁平な石材を用いて箱状のものを作り、その内部に遺体を埋葬し蓋石で覆い隠蔽したものをいう。第2次世界大戦以前はともかく、戦後数年を経てから注目され、中から人骨や歯などが発見されるようになり、当該遺構の重要性が注目されるに至った。
 昭和28年(1953)夏、秋田県北秋田郡早口町(現田代町)の矢石館遺跡で、5基の石棺墓が奥山潤・伊東信雄によって発掘された。この遺構は、長方形に扁平な石を組み合わせ、蓋石が乗っていたといわれる。人骨は腐敗し、土と化して残っていなかったらしい。時期は、晩期初頭の大洞B式土器期であるという*222。本県では、昭和42年(1967)9月、青森市久栗坂の山野峠において、6基の積石をした当該遺構が江坂輝彌を中心とする調査団によって発掘された。これらは、平石を縦にして長方形に配石し、底にも同様の平石を敷き詰めた箱形の石棺墓であった*223。当遺跡は、その後青森市教育委員会によって昭和45年(1970)7月と昭和56年(1981)7月の2度にわたり調査が行われ、前年度には新しい石棺墓の発見は見られなかったが、遺構外から人歯11本を、後年度の調査では新たに1基を発見している*224。なお、当該遺構の時期は、伴出した甕棺により十腰内Ⅰ群(式)土器期とされている。本県の石棺墓はこのほかに、表15に示した遺跡からも発見されている。
表15 石棺墓の遺跡地名表
発見年遺跡名所在地遺構
発見数
形態規模(m)時期備考
1971年
(昭和46)
堀合Ⅲ号南津軽郡
平賀町唐竹堀合
3基長方形
円形
2.00×0.70
~0.80
〔後期〕十腰内Ⅰ群(式)土器期人骨・石鏃・土器・木炭片
1972年
(昭和47)
堀合Ⅲ号南津軽郡
平賀町唐竹堀合
1基長方形1.60×0.90〔後期〕十腰内Ⅰ群(式)土器期人骨・副葬品なし
1978年
(昭和53)
餅ノ沢西津軽郡
鰺ヶ沢町建石町
1基長方形2.76×1.04〔中期〕最花式・中ノ平Ⅲ式土器期人骨・副葬品なし
1979年
(昭和54)
堀合Ⅰ号南津軽郡
平賀町唐竹堀合
12基長方形0.60×0.40
~2.00×0.50
〔後期〕十腰内Ⅰ群(式)土器期人骨・歯等出土
1985年
(昭和60)
花巻黒石市
花巻鷹待場
6基長方形1.92×0.70
~2.55×1.32
〔中期〕大曲1式土器期人骨・副葬品なし
1987年
(昭和62)
花巻黒石市
花巻鷹待場
1基楕円形1.24×0.96〔中期〕最花式・中ノ平Ⅲ式土器期土器破片出土
1985年
(昭和60)
弥栄平(4)上北郡
六ヶ所村上尾駮
1基楕円形1.90×1.30〔後期〕十腰内Ⅰ群(式)土器期甕棺形土器・石皿片・人骨なし