(2)集石・配石遺構

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 石を利用して造られた遺構には、石棺墓のほかに、集石・配石などと言われる遺構もあり、その大規模なものとして、石を大きく円形に配石した環状列石(ストーン・サークル)がある。集石・配石遺構は、土壙墓の上部を多数の石で覆ったもの、火を焚いた炉跡としての性格を持つもの、何かの施設を造るための材料として集めたものなどである。また環状列石は、握り拳大の小さなものから、大人が数人がかりでなければ運搬できないほどの大きな石を集石して一つのブロックを造り、そのブロックが数十ないし数百集まって全体的に円を描くもので、同様の遺跡遺構としては、国の特別史跡に指定されている秋田県鹿角市の大湯遺跡がある。
 青森県では、三戸郡新郷村上栃棚(中期末?)、同郡田子町関(後期)、同郡三戸町泉山(晩期)、むつ市酪農五号(後期)、下北郡川内町宿野部榀ノ木平(後期)、同郡東通村尻屋札地(後期)、青森市野沢小牧野(後期)、弘前市大森勝山(晩期)などの8遺跡が知られており、このほかにまだ未調査ではあるが、数遺跡の存在が話題にのぼっている。これらの中から大湯と小牧野遺跡を参考にすると、前者は野中堂と万座の2地区に分かれており、両地区とも内帯と外帯の二重構造を示している。野中堂の環状列石は、外帯の径が41.5m×38.5m、内帯は13.0m×10.0mの不整円形を呈している。また、万座の列石は、外帯の径が46.0m×45.0m、内帯は16.0mを計り、こちらの方は集石が緻密で野中堂よりは円に近い。ともに集石ブロックの集合体であり、野中堂は外帯33、内帯11のブロックから成り、内帯に近接して、俗に日時計と称する柱状立石を中心とした放射状の配石がある。一方の万座地区は、外帯が43、内帯は4のブロックで構成され、こちらは、外帯に接して日時計と呼ばれる集石が見られる。この両地区の遺構について、かつて縄文時代の祭祀場説と墓地説とが存在したが、大湯遺跡調査によって集石ブロックの下から小判形(長楕円形)の土壙が発見され、内部土壌に対する燐酸の定量分析等を併せて墓地説が有力となっている。その後、昭和48年(1973)からの周辺分布調査と整備のための調査によって遺跡の範囲は拡大し、特に万座の環状列石は、列石の外側に掘立柱建物跡、その外側にフラスコ状土壙等が多数発見され、先に「縄文時代の集落について」で述べたように、環状列石を中心とした同心円上の遺構配置に結び付く可能性も高い。また、環状を呈する列石から外へ角あるいは髭のように配石が延びている状況もとらえられている*225
 大湯遺跡とともに参考に挙げた小牧野遺跡も、外帯と内帯の列石に加えて中央部にも組石(石組ともいわれる)があり、いわば三重構造となっている。規模は、外帯の径が35.5m、内帯29.0m、中央部2.50m×1.50mが計測され、内帯の列石に沿って2組の特殊組石が2か所にわたって存在し、さらに2個の甕棺形土器が、内帯と内・外帯の間に認められた。また、大湯の万座と同様に、角あるいは髭ともいわれる環状列石から外側へ延びる列石が数か所に存在する。この小牧野における列石の組石は、縦石と縦石の間に横石を数枚重ねるという特殊な石の組み方をしており*226、このような組石の構造は、群馬県利根郡月夜野(つきよの)町の矢瀬(やぜ)遺跡(後・晩期)における四隅袖付き炉跡の袖部に類似している*227。小牧野における環状列石の時期は、後期の十腰内Ⅰ群(式)土器期と考えられている。列石の下部に対する調査はまだ行われていない。

図25 土壙墓・石棺墓
左上:土壙墓…青森市・三内丸山遺跡(中期)


上:土壙墓…浪岡町・源常平遺跡(後期)


左:土壙墓…八戸市・是川中居遺跡(後期)
(八戸市博物館提供)


左下:土壙墓(フラスコ状ピット)…岩手県二戸市・上里遺跡(前期)


下:土壙墓…八戸市・八幡遺跡(晩期)


石棺墓…鰺ヶ沢町・餅ノ沢遺跡(中期)


石棺墓…平賀町・堀合Ⅰ遺跡(後期)


図26 石棺墓・環状列石(ストーン・サークル)
左上:石棺墓…青森市・山野峠遺跡(後期)


上:環状列石内特殊組石…秋田県鹿角市・大湯遺跡(後期)国特別史跡


左下:環状列石の一部…秋田県鹿角市・大湯遺跡(後期)


環状列石…弘前市・大森勝山遺跡(晩期)


環状列石…青森市・小牧野遺跡(後期)国史跡(青森市教育委員会提供)

 青森県では未発見だが、石に代わって巨大な木を立てた遺構が各地で発見されており、立てた木の配列によりウッド・サークルなどとも呼ばれている。縄文時代前期のころから出現し、立てられた木は巨木を半分ないしは3分の1程度に断ち割ったものを使っている。能登半島の富山湾に面する能都町で発見された真脇遺跡(前期)をはじめ*228、金沢市のチカモリ遺跡(晩期)*229、前述の群馬県月夜野町の矢瀬遺跡などで見つかっている*230。また、このようなサークル状(円形)の配列とは異なり、方形または長方形に配列された遺構も見られ、青森市の三内丸山(Ⅱ)遺跡においては中期に属するものが発見され、クリの木の巨木が配列の穴から掘り出されている*231。これらの遺構については、祭祀場説が濃厚である。