〈注一覧…第2章〉

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*1 杉原荘介 「群馬県岩宿発見の石器文化」(明治大学文学部研究報告 考古学1) 1956年9月

*2 毎日新聞 1993年(平成5)5月13日(木)の1面・3面・23面記事参照

*3 藤村新一ほか 「宮城県の旧石器時代遺跡地名表」(旧石器時代の文化) 1981年9月

*4 加藤稔・石器文化談話会 「東北地方の道具の移り変わりと環境の変化」(旧石器時代の文化) 1981年9月

*5 芹澤長介 『層位的出土例と相対的編年』(古代史発掘①最古の狩人たち) 1974年1月

*6 曽根廣 「陸奥椿山海岸より発掘せるエオリス様の石片に就いて」(地質学雑誌36-431) 1929年8月

*7 杉原荘介 「青森県金木砂礫層出土の偽石器」(ミクロリス10) 1954年10月

*8A 鎌木義昌・芹澤長介 『長崎県福井洞穴』(日本の洞穴遺跡) 1967年3月

*8B 鎌木義昌 「福井洞穴」『日本古代遺跡便覧』 1973年9月

*9A 江坂・岡本・西田 『愛媛県上黒岩岩陰』(日本の洞穴遺跡) 1967年3月

*9B 西田栄 『愛媛県上黒岩岩陰遺跡』(探訪縄文の遺跡 西日本編) 1985年7月

*10 麻生優 『長崎県泉福寺洞穴』(探訪先土器の遺跡) 1983年12月

*11 佐々木洋治 『山形県日向洞窟』(探訪縄文の遺跡 東日本編) 1985年3月

*12A 柏倉亮吉・加藤稔 『山形県下の洞穴遺跡』(日本の洞穴遺跡) 1967年3月

*12B 山形県 『山形県史資料篇11 考古資料』 1969年3月

*13 三宅・岩本・山口 『大平山元Ⅰ遺跡発掘調査報告書』(青森県立郷土館調査報告書5) 1979年3月

*14 青森県教育委員会 『表館(1)遺跡発掘調査報告書Ⅲ』(青森県埋蔵文化財調査報告書120) 1989年3月

*15 青森県教育委員会 『鴨平(2)遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書73) 1983年3月

*16 江坂輝彌 「青森県八戸市白浜遺跡」(日本考古学年報4) 1955年12月

*17 江坂輝彌 「青森県八戸市小舟渡平遺跡」(日本考古学年報4) 1955年12月

*18 江坂輝彌 「青森県三戸郡館平遺跡」(日本考古学年報7) 1958年3月

*19 江坂輝彌 「縄文文化の起源の研究」(史学29-2) 1956年8月

*20 佐藤達夫ほか 「青森県上北郡早稲田貝塚」(考古学雑誌43-2) 1957年12月

*21 名久井文明 「北日本縄文式早期編年に関する一試考」(考古学雑誌60-3) 1974年12月

*22 井上・天間・三宅・新戸部 『小田野沢-下田代納屋B遺跡発掘調査報告書』(青森県立郷土館調査報告書1) 1976年3月

*23 青森県教育委員会 『長七谷地貝塚』(青森県埋蔵文化財調査報告書57) 1980年3月

*24 青森県教育委員会 『売場遺跡発掘調査報告書第1次~第4次』(青森県埋蔵文化財調査報告書93) 1985年3月

*25 青森県教育委員会 『千歳遺跡(13)発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書27) 1976年3月

*26A 青森県教育委員会『表館遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書61)1981年3月

*26B *14に前掲

*27 青森県埋蔵文化財調査センター 「青森県内の土器編年表」(埋文あおもり9 P.18・19) 1990年3月

*28 笹津備洋 「青森県八戸市日計遺跡」(史学33-1) 1960年12月

*29 芹澤長介・林謙作 「岩手県蛇王洞洞穴」(石器時代7) 1965年10月

*30 長谷部言人 「円筒土器文化」(人類学雑誌42-1) 1927年1月

*31 山内清男 「関東北に於ける繊維土器」(史前学雑誌1-2) 1929年5月

*32A *20に前掲

*32B 佐藤達夫ほか 『早稲田貝塚』(上北考古会報告1) 1960年4月

*33 *23に前掲

*34 *26Aに前掲

*35 名久井文明 「青森県芦野遺跡の土器群について」(考古学雑誌57-2) 1971年11月

*36 *14に前掲

*37 大和久震平 『北秋田郡米内沢狐岱遺跡調査報告』(秋田県文化財保護協会) 1959年6月

*38 江坂・笹津・西村 『青森県蟹沢遺跡調査報告』(石器時代5) 1958年9月

*39 江坂・平山・村越 「石神遺跡-円筒土器文化の編年的研究-」(森田村教育委員会・ニューサイエンス社) 1970年3月

*40 江坂輝彌 「海岸線の進退から見た日本の新石器時代」(科学朝日14-3) 1954年3月

*41 村越潔・小片保 『青森県二ッ森貝塚発掘調査概報』(青森県教育委員会) 1963年5月

*42 鈴木克彦・森本岩太郎ほか 『上北町古屋敷貝塚・Ⅱ(遺構編)』(上北町教育委員会) 1986年12月

*43 鈴木秀夫 『氷河時代』(講談社現代新書414) 1975年11月

*44 山内清男 「斜行縄文に関する二・三の観察」(史前学雑誌2-3) 1930年3月

*45 江坂輝彌 『各地域の縄文式土器(東北)』(日本考古学講座3) 1956年2月

*46 *39に前掲

*47 青森県教育委員会 『中の平遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書25) 1975年3月

*48 葛西励・高橋潤 「井沢遺跡」(平賀町埋蔵文化財報告書5) 1976年3月

*49A 石橋孝夫・工藤義衛ほか 『石狩町上花畔地区宅地開発事業に伴う埋蔵文化財調査報告書-紅葉山砂丘内陸側低湿地における考古学的調査』(北海道石狩町教育委員会) 1992年3月

*49B 村越潔 『円筒土器文化』(雄山閣考古学選書10) 1974年1月

*50 *49Bに前掲

*51 高堀勝喜・山田芳和ほか 『石川県能都町真脇遺跡』(能都町教育委員会・真脇遺跡発掘調査団) 1986年12月

*52 今井冨士雄・磯崎正彦 『十腰内遺跡』(岩木山 弘前市教育委員会) 1966年3月

*53 葛西励・小片保ほか 『青森県平賀町唐竹地区埋蔵文化財発掘調査報告書』(青森県平賀町教育委員会) 1974年1月

*54 相原康二 『岩手県西田遺跡』(探訪縄文の遺跡 東日本編) 1985年3月

*55 山内清男 「所謂亀ヶ岡式土器の分布と縄紋式土器の終末」(考古学1-3) 1930年5月

*56 大和久震平 『能代市柏子所貝塚』(能代市教育委員会・秋田県教育委員会) 1957年9月

*57 芹澤長介 『石器時代の日本』(築地書館) 1960年6月

*58 山内清男 『縄文式土器総論』(講談社日本原始美術1) 1964年3月

*59 永峯光一 『縄文晩期文化-中部日本-』(新版考古学講座3) 1969年5月

*60 野村崇 「いわゆる亀ヶ岡式土器の北方への伝播について」(北海道開拓記念館研究年報3) 1975年3月

*61 中村貞史 「縄文時代の遺跡と遺物」(和歌山の研究1) 1979年3月

*62 家根祥多氏の御教示により、遺物を実見した。

*63 坪井清足 『縄文文化論』(岩波講座日本歴史1) 1962年4月

*64 橘善光・奈良正義 『涌館遺跡発掘調査報告書』(大畑町埋蔵文化財調査報告2) 1980年3月

*65 木内石亭 「青龍刀石」(雲根志三編巻之五 復刻築地書館) 1969年11月

*66 江坂輝彌 「青竜刀形石器考」(史学38-1) 1965年6月

*67 八幡一郎 「奥羽の箆状石器」(日本の石器 彰考書院) 1948年10月

*68 鈴木孝志 『岩手県岩手郡松尾村水切場遺跡調査概報』(上代文化28) 1958年6月

*69 *13に前掲

*70 中谷治宇二郎 『日本石器時代提要』(P.250 三版 養徳社) 1948年8月

*71 *13に前掲

*72 *13に前掲

*73 青森県教育委員会 『下北地点原子力発電所建設予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書75) 1983年3月

*74 *14に前掲

*75 青森県教育委員会 『上尾駮(2)遺跡Ⅱ』(青森県埋蔵文化財調査報告書115) 1988年3月

*76 青森県教育委員会 『一ノ渡遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書79) 1984年3月

*77 三沢市教育委員会 『根井沼(1)遺跡発掘調査報告書Ⅲ』(三沢市埋蔵文化財調査報告書5) 1988年3月

*78 杉山武・宮崎秀春ほか 『白座遺跡・野場遺跡(3)発掘調査報告書』(青森県階上町教育委員会) 1989年3月

*79 江坂輝彌 「円筒土器に伴う土偶」(考古学雑誌51-4) 1966年3月

*80 八戸市教育委員会 『風張(1)遺跡Ⅰ』『同Ⅱ』(八戸市埋蔵文化財調査報告書40・42) 1991年3月

*81 青森県教育委員会 『近野遺跡・三内丸山(Ⅱ)遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書33) 1977年3月

*82 佐藤蔀 「瓦偶人之図」(東京人類学会雑誌3-21) 1887年11月

*83 坪井正五郎 「雪中遮光器」(東京人類学会雑誌6-62) 1891年5月

*84A 村越潔 『亀ヶ岡式土器』(考古学ライブラリー18 ニュー・サイエンス社) 1983年12月

*84B 篠原B遺跡は、現在、篠原仲町遺跡と呼称されている。

*85 本堂寿一ほか 『八天遺跡(図版編)』(北上市教育委員会文化財調査報告書24) 1978年3月

*86 青森県教育委員会 『源常平遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書39) 1978年3月

*87 今井冨士雄・磯崎正彦 「十腰内遺跡」(岩木山 弘前市教育委員会) 1968年9月

*88A 鈴木克彦 「動物考古学十選(1)-水を飲む犬-」(古代文化43-8) 1991年8月

*88B 鈴木克彦 「動物考古学十選(2)-青森市三内丸山Ⅰ遺跡出土の動物型(猪)-」(古代文化43-11) 1991年11月

*88C 鈴木克彦 「動物考古学十選(3)-猿面か、猿に似た土偶(土製品)か-」(古代文化44-5) 1992年5月

*88D 鈴木克彦 「動物考古学十選(4)-大山椒魚と蛇と思われる土製品-」(古代文化45-8) 1993年8月

*88E サントリー美術館 『土偶と土面』(1969春の特別展図録) 1969年3月

*88F 鈴木克彦 「青森県階上村出土の動物型土器」(考古学ジャーナル145) 1978年2月

*89 青森県教育委員会 『韮窪遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書84) 1984年3月

*90 岩手県埋蔵文化財センター 『馬立Ⅱ遺跡発掘調査報告書』(岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書122) 1988年3月

*91 音喜多富寿 『青森県八戸市周辺に於ける遺跡・遺物地名表』(八戸市教育委員会文化財シリーズNo.1) 1960年2月

*92 *23に前掲

*93 宮坂光次 「青森県是川村一王寺史前時代遺跡発掘調査報告」(史前学雑誌2-6) 1930年11月

*94 小片保・村越潔 『青森県二ッ森貝塚発掘調査概報』(青森県教育委員会) 1963年5月

*95 二本柳・角鹿・佐藤 「青森県上北郡唐貝地貝塚」(日本考古学年報8) 1959年3月

*96 金子浩昌・橘善光ほか 「最花貝塚第一次調査報告」(むつ市文化財調査報告4) 1978年3月

*97A 清水潤三ほか 『亀ヶ岡遺跡-青森県亀ヶ岡低湿地遺跡の研究』(三田史学会 考古学・民族学叢刊3) 1959年6月

*97B 市川金丸・鈴木克彦ほか 『亀ヶ岡石器時代遺跡』(青森県立郷土館・考古-6) 1984年3月

*98 江坂輝彌 「青森県三戸郡平貝塚」(日本考古学年報8) 1959年3月

*99 青森市教育委員会 『大浦遺跡調査報告書』(青森市の埋蔵文化財7) 1971年3月

*100 *23・*41・*93・*96・*97A・*99に前掲

*101 *78前掲

*102 1993年の同遺跡発掘資料による(未発表)。

*103 江坂・渡辺・高山 「大間町ドウマンチャ貝塚」(下北 九学会連合 平凡社) 1967年3月

*104A 江坂輝彌 「三戸郡大館村十日市赤御堂貝塚調査略報」(奥南史苑2) 1957年9月

*104B 八戸市教育委員会 『赤御堂遺跡』(八戸市埋蔵文化財調査報告書33) 1989年3月

*104C *23・*78・*98に前掲

*105A 大塚和義 「骨製櫛」(写真資料 現代日本考古学1) 1968年8月

*105B *39に前掲

*106 *94に前掲

*107 音喜多富寿 「県重宝・二ッ森遺跡出土品」(図録青森の文化財 美術工芸品・考古資料) 1967年3月

*108 *103に前掲

*109 *78に前掲

*110 村越潔 「北東北の葬制」(よねしろ考古3) 1987年8月

*111 江坂輝彌 「三戸郡名川町大字平小字前ノ沢出土の合口かめ棺について」(奥南史苑4) 1960年3月

*112 *110に前掲

*113 *94・*96・*103に前掲

*114A 鳥浜貝塚研究グループ編 『鳥浜貝塚-縄文前期を主とする低湿地遺跡の調査1』(福井県教育委員会) 1979年3月

*114B 森川ほか 「福井県鳥浜貝塚」(探訪縄文の遺跡 西日本編) 1985年7月

*115 報告書未刊、調査担当者の成田滋彦・岡田康博君の教示による。

*116A *97A・*97Bに前掲

*116B 青森県教育委員会 『亀ヶ岡遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書14) 1974年3月

*117 杉山寿栄男 「石器時代有機質遺物の研究概報」(史前学雑誌2-4) 1930年7月

*118 平賀町教育委員会 『石郷遺跡(本文・実測図編)』(平賀町埋蔵文化財報告書7) 1979年3月

*119 *114に前掲

*120 *114に前掲

*121 中尾佐助 『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書 P.96 G103) 1992年6月

*122 渡辺誠 『青森県田子町石亀遺跡第2・3次発掘調査概報』(平安博物館) 1975年1月

*123 渡辺誠 『縄文時代の植物食』(雄山閣考古学選書13) 1975年3月

*124 渡辺誠 「縄文時代の食料」(歴史公論5-2) 1979年2月

*125 *123に前掲

*126 田枝幹宏 『八ヶ岳縄文世界再現』(新潮社とんぼの本 P.51) 1988年11月

*127 津南町教育委員会 『新潟県中魚沼郡津南町沖ノ原遺跡発掘調査報告書』(津南町文化財調査報告書12) 1977年3月

*128A *127に前掲、P.65

*128B 中野益男 「残留脂肪酸による古代復元」(第3回「大学と科学」公開シンポジウム講演収録集、新しい研究法は考古学になにをもたらしたか) 1989年11月

*129 青森県埋蔵文化財調査センター 「熊ヶ平遺跡」(埋文あおもりP.4 11) 1992年3月

*130 *128Bに前掲

*131 *114に前掲

*132 *115に前掲

*133 坪井正五郎 「日本石器時代の網代形編み物」(東京人類学会雑誌14-161) 1899年8月

*134 *70に前掲、P.415

*135A 小林行雄 『続古代の技術』(塙選書44) 1964年11月

*135B 植松なおみ 「東北型網代圧痕について」(古代文化33-2) 1981年2月

*136 *97Aに前掲

*137 喜田貞吉・杉山寿栄男 『日本石器時代植物性遺物図録』(刀江書院) 1932年1月

*138 保坂三郎 「図版解説-陸奥国是川遺跡出土品-」(是川遺跡出土遺物報告書) 1972年3月

*139 工藤泰博・村越潔 「青森県板柳町土井Ⅰ号遺跡」(考古学ジャーナル75) 1972年11月

*140 廣嶋司・高橋忠彦 『中山遺跡発掘調査報告書』(秋田県五城目町教育委員会) 1984年3月

*141 *115に前掲

*142 村越潔 「縄文時代の織布について若干の考察」(日本史の黎明 八幡一郎先生頌寿記念考古学論集) 1985年3月

*143 佐原眞 『日本人の誕生』(大系日本の歴史1) 1992年8月

*144 斎藤忠 『日本の発掘』(東大新書45) 1963年3月

*145 甲元真之・山崎純男 『弥生時代の知識』(東京美術考古学シリーズ5) 1984年3月

*146A 八幡一郎 『弥生式土器・弥生時代・弥生文化』(世界考古学事典 上) 1979年2月

*146B 関俊彦 『弥生土器の知識』(東京美術考古学シリーズ16) 1985年7月

*147 伊東信雄 「東北北部の弥生式土器」(文化24-1) 1960年3月

*148 伊藤玄三 『東北』(新版考古学講座4) 1969年10月

*149 橘善光 『弥生時代』(青森県の考古学 青森大学出版局) 1983年8月

*150A 須藤隆 「東日本における弥生文化の受容」(考古学雑誌73-1) 1987年

*150B 岡田康博 「青森県における弥生式土器の編年研究の現状と課題 東北地方の弥生式土器の編年について」(縄文文化検討会) 1988年3月

*150C 須藤隆 「東北地方における弥生文化」(伊東信雄先生追悼 考古学古代史論攻) 1991年3月

*151 巌文明 「中国稲作農耕の起源と展開 日本における稲作農耕の起源と展開」(日本考古学協会設立40周年記念シンポジューム-資料集) 1988年10月

*152 山崎純男 「福岡市板付遺跡の縄文時代水田址」(月刊文化財181) 1978年10月

*153A 中島直幸・田島龍太ほか 『菜畑遺跡』(唐津市文化財調査報告5) 1982年3月

*153B 高島忠平 「わが国最古の水田址-佐賀県菜畑遺跡」(地理28-10) 1983年10月

*154A 松本・矢島・村越ほか 『砂沢遺跡発掘調査報告書』(青森県弘前市教育委員会) 1991年3月

*154B 工楽善通 『水田の考古学』(UP考古学選書12 東京大学出版会) 1991年10月

*155A 遠藤正夫・三浦圭介ほか 『垂柳遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書88) 1985年3月

*155B *154Bに前掲

*156 1992年(平成4)5月に奈良県田原本町教育委員会が発表した唐古・鍵遺跡出土の楼閣(重層建築)を表す絵画をもった土器の発見は、弥生時代中期(A.D.1~2世紀)に整った規模を有する大きな集落の存在を示している。

*157 小山内寿一・岡田康博 「木造町神田遺跡出土の後北式土器について」(弘前大学考古学研究2) 1983年4月

*158A 佐藤信行 『東北地方の後北式文化』(東北考古学の諸問題) 1976年10月

*158B 佐藤信行の『宮城の研究』1に所収されている「宮城県内の北海道系遺物」のP.478に、新潟県刈羽郡西山町内越遺跡で後北C1式土器が出土している旨の記述がある。

*159 中村五郎「北海道南部の続縄紋土器編年」(北海道考古学9 P.97)1973年3月

*160 *158Aに前掲 P.294

*161A 吉崎昌一 『北辺文化の変遷』(古代史発掘4 稲作の始まり) 1975年1月

*161B 吉崎昌一 『北辺と南島 1.北辺』(考古学ゼミナール P.181) 1976年3月

*162 石附喜三男 「鈴谷式土器の南下と江別式土器」(北海道考古学12 P.32) 1976年3月

*163 岩本・三宅・鈴木 『大平山元Ⅱ遺跡発掘調査報告書』(青森県立郷土館調査報告8) 1980年3月

*164 一瀬和夫 『大阪府はさみ山遺跡』(日本考古学年報38) 1987年4月

*165 八戸市教育委員会 『見立山(2)遺跡』(八戸市埋蔵文化財調査報告書38) 1990年3月

*166 青森県教育委員会 『中野平遺跡(第1分冊)縄文時代編』(青森県埋蔵文化財調査報告書134) 1991年3月

*167 八戸市教育委員会 『長七谷地遺跡発掘調査報告書 長七谷地2・7・8号遺跡』(八戸市埋蔵文化財調査報告書8) 1982年3月

*168 *77に前掲

*169 青森県教育委員会 『上尾駮(2)遺跡(Ⅰ)』(青森県埋蔵文化財調査報告書114) 1987年3月

*170 青森県教育委員会 『表館(1)遺跡Ⅴ』(青森県埋蔵文化財調査報告書127) 1990年3月

*171 *170に前掲

*172 *22に前掲

*173 青森県教育委員会 『新納屋遺跡(2)』(青森県埋蔵文化財調査報告書62) 1981年3月

*174 *14・*24に前掲

*175 青森県教育委員会 『発茶沢遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書67) 1982年3月

*176 *104Bに前掲

*177 青森県教育委員会 『表館(1)遺跡Ⅲ・発茶沢(Ⅰ)遺跡Ⅳ』(青森県埋蔵文化財調査報告書120) 1989年3月

*178 江坂輝彌 「青森県三戸郡大館村十日市赤御堂貝塚の調査」(日本考古学協会研究発表要旨18) 1956年11月

*179 *23に前掲

*180 青森県教育委員会 『和野前山遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書82) 1984年3月

*181 *167に前掲

*182 *173に前掲

*183 *14に前掲

*184 *24に前掲

*185 青森県教育委員会 『水木沢遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書34) 1977年3月

*186 青森県教育委員会 『富ノ沢(2)遺跡Ⅴ発掘調査報告書(1)~(3)』(青森県埋蔵文化財調査報告書143) 1992年3月

*187 青森県教育委員会 『三内沢部遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書41) 1978年3月

*188 *186に前掲

*189 *185に前掲

*190 青森県教育委員会 『右ェ門次郎窪・三合山・石ノ窪遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書69) 1982年3月

*191 村越・渡辺・田村・磯崎 「大森勝山遺跡」『岩木山』(弘前市教育委員会) 1966年3月

*192 *54に前掲

*193 *186に前掲

*194A *80に前掲

*194B 八戸市教育委員会 『風張(1)遺跡Ⅱ』(八戸市埋蔵文化財調査報告書42) 1991年3月

*195 報告書未刊、調査担当者の成田滋彦君の教示による。

*196 一戸町教育委員会 『御所野遺跡Ⅰ-縄文時代中期の大集落跡』(一戸町文化財調査報告書32) 1993年2月

*197 *166に前掲

*198 *14に前掲

*199 *23に前掲

*200 *24に前掲

*201 青森県教育委員会 『近野遺跡発掘調査報告書Ⅳ』(青森県埋蔵文化財調査報告書47) 1979年3月

*202 *191に前掲

*203 青森県教育委員会 『大平遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書52) 1980年3月

*204 橋本正 「富山県不動堂遺跡」『探訪縄文の遺跡 東日本編』 1985年3月

*205 永瀬福男 「秋田県杉沢台遺跡」『探訪縄文の遺跡 東日本編』 1985年3月

*206 渡辺誠 「雪国の縄文家屋」『小田原考古学研究会会報9』 1980年4月

*207 *81に前掲

*208 *86に前掲

*209 *75に前掲

*210 青森県教育委員会 『上尾駮(1)遺跡C地区』(青森県埋蔵文化財調査報告書113) 1988年3月

*211 白鳥文雄 「青森市朝日山遺跡の墓域と葬制について」『考古学ジャーナル368』 1993年11月

*212 八戸市教育委員会 『是川中居遺跡地内発掘調査概要-土壙墓・赤染人骨-』(八戸市文化財シリーズ18) 1977年3月

*213 十和田市教育委員会 『明戸遺跡発掘調査報告書』(十和田市埋蔵文化財発掘調査報告書3) 1984年3月

*214 八戸市教育委員会 『八幡遺跡発掘調査報告書』(八戸市埋蔵文化財調査報告書26) 1988年3月

*215 *195に前掲

*216 鍋倉・杉渕・秩父 『萱刈沢貝塚-山本郡八竜町萱刈沢貝塚発掘調査報告書』(八竜町教育委員会) 1979年6月

*217 嶋・高橋・遠藤 『上里遺跡発掘調査報告書』(岩手県埋文センター文化財調査報告書55) 1983年3月

*218 上北町教育委員会 『上北町古屋敷貝塚・Ⅱ(遺構編)』(上北町文化財調査報告書2) 1986年12月

*219 報告書未刊、調査担当者の木村鉄次郎君の教示による。

*220 青森県立郷土館 『宇鉄Ⅱ遺跡発掘調査報告書』『同(Ⅲ)』(青森県立郷土館調査報告6・同25) 1979年3月・1989年3月

*221 青森県教育委員会 『川内町板子塚遺跡発掘調査概要』(報告書作成会議資料) 1992年12月

*222 奥山潤 「縄文晩期の組石棺」『考古学雑誌40-2』 1954年10月

*223 江坂輝彌 「青森市久栗坂山野峠遺跡」『考古学ジャーナル13』 1967年10月

*224 葛西励 『山野峠遺跡(甕棺墓移転に伴う発掘調査)』(青森市教育委員会) 1983年3月

*225 鹿角市教育委員会 『大湯環状列石周辺遺跡発掘調査報告書』(鹿角市文化財調査資料29・31・32・38・42・43・45) 1985年3月~1993年3月

*226A 葛西励・高橋潤 『青森市小牧野遺跡発掘調査報告書(第一次)』(青森山田高等学校考古学研究会) 1990年3月

*226B 青森市教育委員会 『小牧野遺跡発掘調査概報』(青森市埋蔵文化財調査報告書20) 1993年3月

*227 「月夜野町の矢瀬遺跡」(月刊文化財発掘出土情報121 P.44) 1993年11月

*228 能都町教育委員会・真脇遺跡発掘調査団 『石川県能都町真脇遺跡』(本編・写真図版編) 1986年12月

*229 金沢市教育委員会ほか 『金沢市新保本町チカモリ遺跡-遺構編-』(金沢市文化財紀要34) 1983年3月

*230 *227に前掲

*231 青森県教育委員会 『青森市三内丸山(2)遺跡発掘調査概要』(報告書作成会議資料) 1993年3月

*232 笠井新也 「陸奥国発見の石器時代の墳墓に就て」(考古学雑誌9-2) 1918年10月

*233 喜田貞吉 「石器時代の墳墓に就いて」(考古学雑誌9-3) 1918年11月

*234 *38に前掲

*235 *53に前掲

*236 江坂輝彌 「縄文土器文化後期における改葬甕棺墓の研究」(北奥古代文化1) 1968年4月

*237 葛西励 『青森県平賀町堀合Ⅱ号遺跡発掘調査報告書』(平賀町教育委員会) 1972年3月

*238 小片・森本・江坂 「青森県表館発見の縄文文化後期初頭の甕棺と人骨」(考古学ジャーナル63) 1971年12月

*239 平賀町教育委員会 『堀合Ⅰ遺跡』(平賀町埋蔵文化財報告書9) 1981年3月

*240 *53に前掲

*241 *110に前掲

*242 *111に前掲

*243 三宅徹也 「西津軽郡深浦町吾妻野Ⅱ遺跡の出土土器について」(青森県立郷土館調査研究年報1) 1976年2月

*244 亀沢磐 「福岡町の金田一川遺跡」(岩手史学研究29) 1958年11月

*245 葛西励・高橋潤ほか 『五輪野遺跡発掘調査報告書』(尾上町教育委員会調査報告4) 1983年3月