この時期の北海道系遺物としては、続縄文文化の北大Ⅰ式土器と黒曜石製石器であり、古墳文化の遺物としては土師器・須恵器・各種玉類・鉄・竪櫛などがあり、相対的には後者が前者を圧倒し、古墳文化の影響が色濃く認められる。しかし、墓地の形態は続縄文文化の色彩が強い。
森ヶ沢遺跡については、昭和22年(1947)の採集資料のほか、平成5年(1993)に行われた国立歴史民俗博物館の調査で、集団墓地跡とそれに伴う多量の遺物がある。墓地の造り方と埋葬の様相は、北海道続縄文文化のものと類似する。また、出土した遺物は、北大Ⅰ式注口及び片口土器、南小泉式後半期(5世紀後半)に併行する土師器坏(2点は丹塗)、陶邑(すえむら)編年Ⅰ期(5世紀後半)の須恵器高坏・直口壺・坏蓋などである。このほか、鉄製品・玉類・竪櫛などもあり、副葬された文物の多くは古墳文化のもので、この時期の最北の前方後円墳を築造した岩手県角塚古墳の被葬者との関係が今後注目される。細越館のものはすべて土師器で、高坏・坩など、南小泉式の前半期(5世紀前半)に相当しよう。また、三日市では初期須恵器直口壺、槻ノ木では土師器小型壺が出土している。
この時期の特徴の一つとして、初期須恵器(5世紀)の流入が注目される(6個体)。中でも、森ヶ沢遺跡では大阪陶邑産、三日市の須恵器は仙台市大蓮寺産であり、畿内政権や仙台平野の古墳造営者との関係(直接か間接かは別にして)が指摘されよう。
図4 5世紀代の土器(1・2・5・6土師器、3・4須恵器、7北大Ⅰ式)
図5 5世紀~6世紀の土器(2~4土師器、1須恵器)