この時期には、津軽型あるいは上北型の防御性集落のほかに、津軽平野の徴高地上に進出した石上神社遺跡(木造町)・久米川(くめがわ)遺跡(稲垣村)などの集落や、低平台地や丘陵上に立地するものの、防御施設を持たない永野遺跡(碇ヶ関村)・朝日山遺跡(青森市)なども存在する。
図13 10世紀の集落跡(大鰐町大平遺跡)
図14 津軽型防御性集落(11世紀,碇ヶ関村古館遺跡)
図15 津軽型防御性集落(11世紀,大鰐町砂沢平遺跡)
砂沢平遺跡地形図
この時期の集落を構成する建物では、作りつけのかまどをもった竪穴住居跡と総柱の掘立柱建物跡(倉庫)、竪穴構造の工房跡であり、基本的には前代のものと同様である。
竪穴住居跡は、柱の配置に前代とは大きな変化が認められる。それは、前代では4本の主柱を基本としていたものが、壁際に多数の柱を配置する「壁立(かべだち)構造」のものに変化する。
また、永野遺跡(碇ヶ関村)や源常平遺跡(浪岡町)のように、貯蔵庫と推定される張出施設を付属させるものも出現する。なお、11世紀をもって日常的な竪穴住居はなくなり、掘立柱建物の構造に変化するとされている。
図19 10世紀~11世紀の竪穴住居跡
図20 竪穴住居跡と出土遺物(10世紀前半)
図21 竪穴住居跡と出土遺物(10世紀前半)