この時期には土師器生産にロクロが本格的に導入され、坏の法量の小型化、画一化が県内全域に及ぶ。また、甕は前代同様、ロクロやタタキが用いられる平底のものと、ナデ・ケズリのみのものと共存する。一部ではカキメの用いられるものもある。甕の製作技法は、隣接の城柵なかでも志波城を含む陸奥国に特徴的な在り方を示す。器種は坏・小型甕・長胴甕で球胴甕が欠落し、一部で鉢が用いられる。須恵器の量は集落によって大きな違いがある。一方、擦文土器は本格的に独自の土器に展開する時期であるが量的に最も少ない。9世紀中葉になると、ロクロ使用でタタキ出し丸底の長胴甕(「北陸型」または「出羽型」)が散見するようになる。また、坏は無調整の「あかやき土器」が調整坏を凌駕する。
図35 9世紀の土師器坏
図41 9世紀の土師器長胴甕
なお、この時期に北海道において擦文土器が発生するが、本県にはほとんど入り込んでいない。