-古代後期Ⅳ期(10世紀末~11世紀末)-

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 高館遺跡・古館遺跡・砂沢平遺跡の主体的な遺構群、蓬田大館遺跡の一部遺構群出土土器が本時期に当てられよう。いずれも、かまどを有する竪穴住居としては最終段階のものである。煮沸具としての土師器甕がほとんどで、ほかに少量の坏と把手付土器・羽釜・内耳土器がある。この段階では、須恵器は完全に消滅している。

図36 10・11世紀の土師器坏


図37 10・11世紀の土師器高台付坏・皿・柱状高台付坏


図48 10・11世紀の土師器(把手付土器)


図49 10・11世紀の土師器(甑・羽釜・内耳土堝・土製かまど)

 土師器甕は頸部が極めて短く、また屈曲の度合いも少なく、頸部付近で肥厚するものが多い。外面の大胆なケズリが全面に施されるが、これは前代と同一手法である。把手付土器の調整も同様である。坏は硬質で、底部から直線的に立ち上がり、口縁部が薄くなるものが多い。また、底部が体部に比して厚手であるのも本時期の特徴と言えよう。坏の一部は小型化し、大小二つの器種が出現する。いずれもロクロ調整である。

図44 10・11世紀の土師器小型甕・土師器長胴甕


図45 10・11世紀の土師器長胴甕・同球胴甕

 土器組成の特徴では前代から引き続き、供膳具としての坏・皿が極めて少量である点と、わずかではあるが輸入白磁が共伴する点にある。前者は、木器製作の技術的進歩と量産体制の確立が背景に存在しよう。このほか、貯蔵具においても大きな特徴が認められる。Ⅲ期で盛行した須恵器生産も、本時期ではほとんど消滅し、伝世品として残る貯蔵具も稀少となるが、これに代わるものとして、土師器壺・内面黒色処理の長胴壺(出現はⅢ期)が本時期に盛行する。
 この時期には、擦文土器を伴う遺跡が飛躍的に増加する。器種は甕だけであり、その多くは在地産のものである。この擦文土器も、多くの土師器とともに11世紀末の段階では終焉を迎える。