(8)馬産と関連遺物

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 古代において、東北地方で多くの馬が生産されていたことは、当時書かれた文書によって知られている。養老2年(718)に出羽渡島の蝦夷が1000匹の馬を献上したことや、律令政府が軍用の馬を確保するため、延暦6年(787)・弘仁6年(815)・貞観3年(861)などに、王臣や国司などが蝦夷の馬を買うことを禁じた命令がたびたび出されていたことでもうかがえる。養老2年の記事のほかは、律令体制下に組み込まれた蝦夷と政府との関係の記事であるが、当時の青森県域でも馬産が活発に行われていた可能性が高い。特に平安末期の「糠部」は、文献上でも馬産地として知られている。遺跡出土の馬骨は、8世紀代の李平下安原遺跡(尾上町)・根岸遺跡(百石町)、9世紀の三内遺跡(青森市)などから出土している。なかでも李平下安原遺跡では、少なくとも4頭以上で、そのうち1頭は1歳未満、ほかのものもいずれも4歳に至らない若い馬で、明らかに馬産が行なわれていたことを物語っていると言えよう。
 このほか、馬具が出土した遺跡は、7世紀代の鹿島沢古墳群(八戸市)・阿光坊古墳群(下田町)、8世紀代の丹後平古墳群(八戸市)、9世紀代の浅瀬石遺跡(黒石市)などである。
 馬は農耕等の使役のほか、軍用あるいは交易物資として重要な役割を果たしたものと考えられる。
 なお、8世紀後葉の段階では、本県でも牛が飼育されていたことが根岸遺跡(百石町)で判明している。

図89 青森県内の古代の牛・馬骨及び馬具の出土分布図