図90 全国の蕨手刀分布図
青森県においては、これまで表7のように津軽地方4例、南部地方7例、計11例が知られている。このうち、2例は弘前市に直接関連するものである。
表7 青森県内蕨手刀出土地一覧(平成5年9月現在) |
番号 | 出土遺跡 | 発見の経緯 | 遺跡の所在 | 大きさ(cm) | 伴出遺物 | 備考 | |||
全長 | 刃長 | 柄長 | 刃幅 | ||||||
1 | 門外遺跡 | 明治27年 奥羽本線鉄道敷設工事 | 弘前市 大字門外 | 38.5 (欠) | 28.5 | 11.0 | 4.0 | 擦文土器? (土師器か?) | 古墳? (青森県立郷土館蔵) |
2 | 不明 | 不明 (室町時代発見) | 不明 | 63.5 | 50.0 | 13.5 | 不明 | 県重宝指定 (弘前市熊野奥照神社蔵) 『熊野神社鎮座縁記』 | |
3 | 八幡遺跡 (旧十三社遺跡) | 明治40年発掘調査 (主体部のみ) | 61.5 (欠) | 48.0 (欠) | 13.5 | 土師器・白土多量 | 古墳群内? (成田券治氏蔵) | ||
4 | 阿光坊古墳群 | 耕作中の発見 | 上北郡下田町 | 56.1 (欠) | 42.8 (欠) | 13.3 | 4.5 | 不明・周辺から多数の遺物出土 | 古墳 (下田町教委蔵) |
5 | 原古墳群 | 昭和48年耕作中の発見 | 南津軽郡尾上町 | 54.8 (欠) | 40.5 (欠) | 14.2 | 4.5 | 不明 | 古墳群内? (尾上町教委蔵) |
6 | 西遺跡 | 八戸市 | 不明 | ||||||
7 | 根岸(2)遺跡 | 平成5年 町道整備事業の発掘 | 上北郡百石町根岸 | (欠) | - (欠) | 土師器・桂甲 | 第8号竪穴住居跡内 (百石町教委蔵) | ||
8 | 丹後平古墳群 | 八戸新都市開発 整備事業に伴う発掘調査 | 八戸市大字根城字丹後平 | 56.0 | 43.0 | 13.0 | 4.9 | 刀子1 ガラス玉185点 | 第3号墳主体部底面 完成品(八戸市教委蔵) |
9 | 丹後平古墳群 | 八戸新都市開発 整備事業に伴う発掘調査 | 八戸市大字根城字丹後平 | 50.1 | 37.4 | 12.7 | 4.5 | 刀子1,足金具1 鉄鏃2,金環1 | 第2号墳主体部底面 完成品(八戸市教委蔵) |
10 | 不明 | 大正時代発見(錆失) | 上北郡天間林村 | - | - | - | - | 不明 | 成田券治氏談 |
11 | 神明町遺跡 | 昭和46年 | 北津軽郡金木町字芦野 | 34.0 (欠) | 22.2 (欠) | 12.4 | 3.1 |
図91-1は明治27年(1894)、奥羽本線鉄道敷設工事中に、当時の中津軽郡堀越村字門外地区(現弘前市大字門外)において発見されたものである。出土地点、遺跡の性格等の詳細は定かでないが、元所蔵者の故大石良郷によれば、「白土による小封土中」からの出土とされている。この「小封土」は、終末期古墳の出土の可能性も考えられる。昭和31年(1956)5月14日付けで県重宝に指定されたが、所有者の県外転出のため昭和34年(1959)10月12日付けで指定解除されている。
この蕨手刀は、切先部が欠損しているため、刀部の全容は明らかでないが、残全長38.5cm、柄長10.5cm、残刀長28.5cmと蕨手刀の中でも極めて短く、刀身の棟は反りがない平棟造である。柄尻は円形で、中央部に緒通しの座金が片面に付けられている。またこの座金には、鵐目(しとどめ)の金具が残されている。鍔はいわゆる喰出鐔で、上部が欠損しているが形状は小判型で、長さ5.4cm、幅2.8cmである。
第91図-2(巻頭カラーP.14)は弘前市熊野奥照神社の宝物として伝世されてきた蕨手刀である。同神社の元禄年間の縁起には、頭椎(かぶつち)の太刀と記載されている。室町時代の発見とされているが、発見の経緯や出土地等の詳細は不明である。なお、この由緒書によれば「阿部比羅夫之を納む」また一説には「田村麿納む」とされている。昭和31年(1956)5月14日付けで県重宝に指定されている。
図91 青森県内出土の蕨手刀(1)
全長63.5cm、刃長50.0cm、柄長13.5cmで、全長に2.5cmの反りを持ち、大かます鋒の平造刀で物打当たりに径0.7cmの小孔を遺している。
図92 青森県内出土の蕨手刀(2)