(9)蕨手刀

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 蕨手刀は、把頭の形状が早蕨(さわらび)のように渦巻いた曲線を持つことから付いた名称である。刀身は幅が広く、しかも全長が約50cm前後と短い点に特徴がある。現在全国で250例近い出土例が確認されているが、その分布は東北地方を中心として、北海道・関東・中部の東日本に集中することが知られている。特殊な例ではあるが、正倉院にも伝世した一例がある。蕨手刀が制作使用された年代は、7世紀後半代より9世紀前半代である。このため、地域的にも年代的にも、古代国家と対峙した「蝦夷」と呼ばれた人々が所有した刀と考えられている。出土状態の明らかなものでは、「蝦夷の族長」の墓とされる終末期古墳群や規模の大きい竪穴住居跡からの出土例が知られている。

図90 全国の蕨手刀分布図

 青森県においては、これまで表7のように津軽地方4例、南部地方7例、計11例が知られている。このうち、2例は弘前市に直接関連するものである。
表7 青森県内蕨手刀出土地一覧(平成5年9月現在)
番号出土遺跡発見の経緯遺跡の所在大きさ(cm)伴出遺物備考
全長刃長柄長刃幅
1門外遺跡明治27年
奥羽本線鉄道敷設工事
弘前市
大字門外
38.5
(欠)
28.511.04.0擦文土器?
(土師器か?)
古墳?
(青森県立郷土館蔵)
2不明
不明
(室町時代発見)
不明63.550.013.5不明県重宝指定
(弘前市熊野奥照神社蔵)
『熊野神社鎮座縁記』
3八幡遺跡
(旧十三社遺跡)
明治40年発掘調査
(主体部のみ)
61.5
(欠)
48.0
(欠)
13.5土師器・白土多量古墳群内?
(成田券治氏蔵)
4阿光坊古墳群耕作中の発見上北郡下田町56.1
(欠)
42.8
(欠)
13.34.5不明・周辺から多数の遺物出土古墳
(下田町教委蔵)
5原古墳群昭和48年耕作中の発見南津軽郡尾上町54.8
(欠)
40.5
(欠)
14.24.5不明古墳群内?
(尾上町教委蔵)
6西遺跡八戸市不明
7根岸(2)遺跡平成5年
町道整備事業の発掘
上北郡百石町根岸(欠)
(欠)
土師器・桂甲第8号竪穴住居跡内
(百石町教委蔵)
8丹後平古墳群八戸新都市開発
整備事業に伴う発掘調査
八戸市大字根城字丹後平56.043.013.04.9刀子1
ガラス玉185点
第3号墳主体部底面
完成品(八戸市教委蔵)
9丹後平古墳群八戸新都市開発
整備事業に伴う発掘調査
八戸市大字根城字丹後平50.137.412.74.5刀子1,足金具1
鉄鏃2,金環1
第2号墳主体部底面
完成品(八戸市教委蔵)
10不明大正時代発見(錆失)上北郡天間林村不明成田券治氏談
11神明町遺跡昭和46年北津軽郡金木町字芦野34.0
(欠)
22.2
(欠)
12.43.1

 図91-1は明治27年(1894)、奥羽本線鉄道敷設工事中に、当時の中津軽郡堀越村字門外地区(現弘前市大字門外)において発見されたものである。出土地点、遺跡の性格等の詳細は定かでないが、元所蔵者の故大石良郷によれば、「白土による小封土中」からの出土とされている。この「小封土」は、終末期古墳の出土の可能性も考えられる。昭和31年(1956)5月14日付けで県重宝に指定されたが、所有者の県外転出のため昭和34年(1959)10月12日付けで指定解除されている。
 この蕨手刀は、切先部が欠損しているため、刀部の全容は明らかでないが、残全長38.5cm、柄長10.5cm、残刀長28.5cmと蕨手刀の中でも極めて短く、刀身の棟は反りがない平棟造である。柄尻は円形で、中央部に緒通しの座金が片面に付けられている。またこの座金には、鵐目(しとどめ)の金具が残されている。鍔はいわゆる喰出鐔で、上部が欠損しているが形状は小判型で、長さ5.4cm、幅2.8cmである。
 第91図-2(巻頭カラーP.14)は弘前市熊野奥照神社の宝物として伝世されてきた蕨手刀である。同神社の元禄年間の縁起には、頭椎(かぶつち)の太刀と記載されている。室町時代の発見とされているが、発見の経緯や出土地等の詳細は不明である。なお、この由緒書によれば「阿部比羅夫之を納む」また一説には「田村麿納む」とされている。昭和31年(1956)5月14日付けで県重宝に指定されている。

図91 青森県内出土の蕨手刀(1)

 全長63.5cm、刃長50.0cm、柄長13.5cmで、全長に2.5cmの反りを持ち、大かます鋒の平造刀で物打当たりに径0.7cmの小孔を遺している。

図92 青森県内出土の蕨手刀(2)