各種の祭祀遺物の多くは、集落遺跡での竪穴住居跡内からのもであるが、斎串だけはいずれも用排水路跡からの出土である。以下、各種遺物の概要と出土状況から見た特徴等について略述する。律令体制外の地域的な祭祀はほとんど不明、むしろ体制下の祭祀遺物であることが特徴であろう。
図107 古代の祭祀遺物分布図
表8 古代の祭祀遺物出土遺跡一覧 |
番号 | 遺跡名 | 所在地 | 出土遺構 | 祭祀関連遺物 | 伴出遺物 | 時期 | 備考 |
1 | 甲里見(2)遺跡 | 黒石市大字高館字甲里見 | 竪穴住居跡 覆土 | 土玉1 | 9C前半 | 第1号住居跡 | |
竪穴住居跡 床面 | 土馬1 | 土師器 | 9C前半 | 第2号住居跡 | |||
カマド燃焼部 | 勾玉1 | ||||||
2 | 岩ノ沢平遺跡 | 八戸市 大字櫛引 | 竪穴住居跡 床面 | ガラス小玉1 | 土師器 | 10C前葉~中葉 | 第5号住居跡 |
竪穴住居跡 床面 | 琥珀製平玉3 石製平玉1 | 土師器 | 10C前葉~中葉 | 第6号住居跡 | |||
竪穴住居跡 覆土 | 土馬1 | 土師器 | 9C前半 | 第12号住居跡 (報告書未刊) | |||
3 | 近野遺跡 | 青森市大字安田字近野 | 竪穴住居跡 覆土 | 土製鈴1 | 土師器 | 10C代 | 第16号住居跡 |
4 | 山元(3)遺跡 | 南津軽郡浪岡町 大字杉沢字山元 | 竪穴住居跡 床面 | 土玉 | 土師器 | 10C前半 | |
竪穴住居跡 床面 | 石玉1 | 土師器 | 10C前半 | ||||
竪穴住居跡 床面 | 石玉1 | 土師器 | 10C前半 | ||||
5 | 李平下安原遺跡 | 南津軽郡尾上町 大字李平字下安原 | 竪穴住居跡 床面 | 土製勾玉1 | 土師器 | 9C初頭 | 第100号住居跡 |
竪穴住居跡 覆土 | 土製勾玉1 | 第50号住居跡 | |||||
竪穴住居跡 覆土 | 石製勾玉1 | 第139号住居跡 | |||||
6 | 独狐遺跡 | 弘前市大字独狐字独狐森 | 遺構外 | 石製勾玉1 | |||
7 | 堀合Ⅲ号遺跡 | 南津軽郡平賀町大字唐竹字堀合 | 遺構外 | 土製勾玉1 | |||
8 | 大光寺 新城跡遺跡 | 南津軽郡平賀町 大字大光寺字三村井 | 遺構外 | 石製勾玉1 | |||
9 | 永野遺跡 | 南津軽郡碇ヶ関村字永野 | 竪穴住居跡 覆土 | 土製勾玉1 | 10C代 | 第13号住居跡 |
番号 | 遺跡名 | 所在地 | 出土遺構 | 祭祀関連遺物 | 伴出遺物 | 時期 | 備考 |
10 | 山本遺跡 | 南津軽郡浪岡町 大字徳才子字山本 | 竪穴住居跡 覆土 | 土玉1 | 第2号住居跡 | ||
11 | 細越遺跡 | 青森市大字細越字種元 | 溝跡堆積土 | 斎串1 | 10C前半 | 第1号溝 | |
溝跡堆積土 | 斎串1 | 10C前半 | 第4号溝 | ||||
12 | 蛍沢遺跡 | 青森市大字駒込字蛍沢 | 竪穴住居跡 覆土 | 石製勾玉1 | 第53号住居跡 | ||
13 | 石上神社遺跡 | 西津軽郡木造町 大字蓮川字玉田 | 溝跡堆積土 | 斎串2 | 10C代 | 第29号住居跡 | |
14 | 発茶沢(1)遺跡 | 上北郡六ヶ所村 大字鷹架字発茶沢 | 竪穴住居跡 床面 | 土玉1 | 土師器 | 10C中葉 | 第201号住辰跡 |
15 | 上尾駮(1)遺跡 | 上北郡六ヶ所村 大字尾駮字上尾駮 | 竪穴住居跡 床面 | 土玉2 土製勾玉1 | 土師器 | 10C前半 | 第6号住居跡 |
竪穴住居跡 床面 カマド | 土玉2 土玉1 | 土師器 | 10C中葉 | 第17号住居跡 | |||
16 | 中野平遺跡 | 上北郡下田町字中野平 | 竪穴住居跡 床面 | 土玉1 | 土師器・砥石 | 9C中葉~後葉 | 第9号住居跡 |
竪穴住居跡 覆土 | 土玉2 | 第13号住居跡 | |||||
竪穴住居跡 床面 | 土製勾玉1 | 土師器 | 8C後半 | 第14号住居跡 | |||
竪穴住居跡 覆土 | 土玉1 | 第16号住居跡 | |||||
竪穴住居跡 覆土 | 土玉1 | 第24号住居跡 | |||||
竪穴住居跡 覆土 | 土玉1 | 第28号住居跡 | |||||
竪穴住居跡 床面 | 上製勾玉1 | 土師器 | 9C前半 | 第34号住居跡 | |||
17 | 熊野堂遺跡 | 八戸市大字売市字熊野堂 | 土壙覆土 | 土玉1 | 第157号土壙 | ||
18 | 向山(4)遺跡 | 上北郡下田町字向山 | 遺物廃棄 ブロック | 土玉1 | 土師器 | 8C前半 |
番号 | 遺跡名 | 所在地 | 出土遺構 | 祭祀関連遺物 | 伴出遺物 | 時期 | 備考 |
19 | 鶉窪遺跡 | 八戸市大字田茂木字鶉窪 | 竪穴住居跡 床面 | 土製勾玉1 | 土師器 | 8C中葉~後葉 | 第2号住居跡 |
カマド燃焼部 | 土製小玉1 | ||||||
20 | 田面木遺跡 | 八戸市 大字田茂木字外久保 | 竪穴住居跡 床面 | 土製勾玉1 土玉1 | 土師器・砥石土製紡錘車 | 8C中葉~後葉 | 第1号住居跡 |
21 | 赤御堂遺跡 | 八戸市 大字十日市字赤御堂 | 竪穴住居跡 床面 | 土製勾玉1 | 土師器 | 7C後葉~8C前葉 | 第5号住居跡 |
22 | 田面木平(1)遺跡 | 八戸市 大字田茂木字田茂木平 | 竪穴住居跡 床面 | 水晶製切子玉 | 土師器 須恵器 | 7C後半~8C初頭 | 第48号住居跡 |
竪穴住居跡 床面 | 石玉1 土玉1 | 土師器 | 7C後半~8C初頭 | 第56号住居跡 | |||
竪穴住居跡 床面 | 土玉1 | 土師器 | 7C後半~8C初頭 | 第58号住居跡 | |||
竪穴住居跡 床面 | 土玉1 | 土師器・砥石 | 7C後半~8C初頭 | 第60号住居跡 | |||
竪穴住居跡 床面 | ガラス玉1 | 土師器 | 7C後半~8C初頭 | 第63号住居跡 | |||
23 | 史跡根城跡 | 八戸市大字根城字東構 | 竪穴住居跡 床面 | 土製勾玉1 | 土師器 須恵器 | 7C後葉~8C前葉 | 第95号住居跡 |
24 | 塩入遺跡 | 八戸市大字新井田字塩入 | 土玉2 | 採集遺物 | |||
25 | 蓬田大館遺跡 | 東津軽郡蓬田村大字蓬田 | 鉄鈴1 | 土師器・擦文土器 | 11C | ||
26 | 羽黒平遺跡 | 南津軽郡浪岡町 大字五本松字羽黒平 | 鉄鈴1 鉄鈴1 | 土師器 土師器 | 10C 10C | ||
27 | 高館遺跡 | 黒石市大字高館 | 鉄鈴1 鉄鈴1 | 土師器 土師器 | 11C 11C | ||
28 | 砂沢平遺跡 | 南津軽郡大鰐町 大字長峰字砂沢平 | 鉄鈴1 鉄鈴1 鉄鈴1 | 11C 11C 11C | |||
29 | 古館遺跡 | 南津軽郡碇ヶ関村大字古館 | 鉄鈴1 鉄鈴1 | 11C 11C | |||
30 | 山元(2)遺跡 | 南津軽郡浪岡町 大字杉沢字山元 | 土鈴1 土鈴1 | 10C 10C |
〔土馬〕 土馬は岩ノ沢平遺跡(八戸市)・甲里見(2)遺跡(黒石市)からそれぞれ1点ずつ出土している。岩ノ沢平遺跡のものは鞍付きの飾馬で、鞍の後輪部が欠損するのみで、ほぼ完形品である。全体に形状が整っており、長さは10.2cmである。第12号竪穴住居跡の堆積土中からの出土であるが、同層、あるいは竪穴出土の土師器は概ね9世紀前半のもので、土馬もこの時期が想定される。
甲里見(2)遺跡のものは、首から上の頸部だけのため、裸馬かどうかは不明であるが、耳・目・鬣(たてがみ)が明確に表され、頭長は3.8cmある。竪穴住居のカマド内からの出土で、ほかに土製勾玉1点も出土している。また、本住居床面からは土師器・須恵器のほかに4点の手捏ね土器も出土しており、その特殊性が看取される。本住居は他の伴出遺物から9世紀前半期が想定される。
土馬は、馬形土器製品あるいは土製馬とも称されるもので、奈良県の平城京をはじめとして、律令時代の官衙に関する遺跡の井戸や溝から多く発見されている。このため、井戸祭祀、河川祭祀、あるいは祈雨祭祀など、いずれも水霊に関わる祭祀の性格を持つ道具とされている。また、神社や葬制、あるいは峠神祭祀説などもある。いずれにしても、律令体制下の社会、中でも畿内を中心とした地域に分布密度が高く、東北地方全体では数える程度の出土例しかない。本県では2例にすぎないが、この時期(9世紀前葉期)には、既に律令体制社会の中で行われていた祭祀様式が積極的に取り入れられていたことを示す遺物として注目される。
図108 古代の祭祀遺物(土馬・斎串・土鈴)
〔鈴〕 鈴には土鈴と鉄鈴があり、県内出土の遺物は表8のように、津軽地方に集中する。鈴は古くから神社とかかわりを持つ道具であるが、馬鈴のように馬の装飾としても用いられている。しかし、鈴の中でも土製のものは祭祀にかかわる遺物であろう。
図110 古代の鉄鈴
〔斎串〕 斎串は2遺跡で2点ずつ計4点が出土している。細越遺跡(青森市)では9世紀末~10世紀前半期の水路跡から出土し、家屋材等の多量の木製品と土師器を伴出している。1点は傾斜の緩い山形頭部を形成したもので、長さが34.2cmある。他は、頭部の形状がやや異なるものの中央部の抉(えぐ)り込みや板の厚さ等はほぼ類似する。
石上神社遺跡(木造町)は、10世紀前半代に中心をおく集落遺跡である。1点は鋭角な山形頭と、左右対称の4対の抉り込みを持った幅広の斎串である。全体の形状は卒塔婆に似ている。他は頭部にかすかな3対の抉り込み加工した細形のもので、先端はとがっている。
これらは大小の用排水路からの出土であり、水霊信仰との関連も考えられるが、家屋材等も伴出していることから即断できない。
〔勾玉〕 土製・石製があるが、土製勾玉が圧倒的に多く9遺跡11点であるのに対し、石製は3遺跡3点にすぎない。これらの多くは、竪穴住居床面や堆積土中のものである。また時期的には7世紀後半から10世紀代まで継続する。
図109 古代の祭祀遺物(土玉・土製勾玉)
〔小玉〕 小玉は13遺跡で合計31点出土している。内訳は土玉22点、石製小玉3点、ガラス製小玉3点、琥珀製平玉3点で、土玉が圧倒的に多い。竪穴住居跡の床面、堆積土中のものがほとんどであるが、鶉窪遺跡や上尾駮(1)遺跡のようにカマド内からのものもある。また、土玉の場合は1住居内から1点~2点の出土でまとまった状況は示していない。時期的には土製勾玉と同様、7世紀後半から10世紀まで継続する。
律令期を通して祭祀遺物はあるが、出土状況等からはその主体となる各種玉類についての性格が明らかではない。ただ、カマド内や床面からの1~2個出土したものからはカマド神に関する信仰や、竪穴廃棄時の祭祀行為が想定されなくもない。
本県での2体の土馬の出土は特筆される。これらはいずれも集落遺跡であり、甲里見(2)遺跡の場合はほかに土製勾玉・手捏ね土器を伴っており、集落内での祭祀を司る者の住居跡であろう。土馬は、律令祭祀の代表的遺物とされることから、律令国家の外と認識されていた青森県での出土は、明らかにこの種の祭祀が本県でも行われていたことを示すものである。律令体制の浸透度を考える上では意義深い遺物と言える。また、この土馬の時期は9世紀前半期であり、本県での大きな変革期にも当たっている。一方、律令期の代表的な宗教文化である仏教文化については、寺院の痕跡は確認されていない。わずかに、墨書土器や刻書土器に見られる10世紀前半期の「寺」(青森市細越遺跡・木造町石上神社遺跡)や「大佛」(平賀町鳥海山遺跡)などの文字資料からうかがうことができるだけである。