〈注及び参考文献一覧…第3章〉

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*1 廣澤安任 「アイノノ遺跡ノ事」(東京人類学会報告2-11) 1887年

*2 佐藤重紀 「陸奥国上北郡の竪穴」(東京人類学会報告5-51) 1890年

*3 佐藤重紀 「竪穴及チャシコツ」(東京人類学会報告6-57) 1890年

*4 佐藤傅蔵 「日本本州に於ける竪穴発見報告」(東京人類学会雑誌13-145) 1898年

*5 佐々木新七 『青森県史蹟名勝天然記念物調査報告』(3) 1927年

*6 喜田貞吉 「奥羽地方石器時代実年代の下限」(歴史地理63-1) 1934年

*7 鶴賀喜丈 「西郡地方に於ける先史時代遺跡地と森田村の竪穴に就いて」(郷土号4) 1936年

*8 喜田貞吉 「日本石器時代の終末期に問題」(ミネルヴァ1-5) 1936年

*9 中島全二 「下北半島新石器文化の編年的研究」(考古学雑誌36-4) 1950年

*10 岩月康典 「下北半島に於ける土師器の竪穴」(考古学ノート5) 1951年

*11 加藤孝 「塩釜市表杉ノ入貝塚の研究」(宮城学院女子大学研究論文集5) 1952年

*12 橘善光 「青森県下北半島八森遺跡調査慨報」(貝塚42) 1952年

*13 西村正衛・桜井清彦・玉口時雄 「青森県森田村附近の遺跡調査概報」(古代5) 1952年

*14 西村正衛・桜井清彦・玉口時雄 「青森県森田村附近の遺跡調査概報(2次)」(古代10) 1953年

*15 江坂輝弥 「尻屋崎付近の土器・須恵器出土の貝塚」(日本考古学協会第11回総会 研究発表要旨) 1953年

*16  〃  「青森県下北半島稲崎遺跡調査報告」(古代12) 1953年

*17 桜井清彦 「青森県十三村中島発見の土師器」(考古学雑誌40-1) 1954年

*18 江坂輝弥 「青森県下北郡稲崎遺跡」(日本考古学年報3) 1955年

*19  〃  「縄文文化の終末とそれ以降の文化」(奥羽史談6-1) 1955年

*20 桜井清彦 「青森県相内村赤坂遺跡について」(古代17) 1955年

*21 江坂輝弥「青森県下北郡ムシリ遺跡」(日本考古学年報4) 1955年

*22 桜井清彦 「青森県森田村発見の鉄斧」(貝塚50) 1956年

*23 田名網宏 「古代蝦夷とアイヌ」(蝦夷)朝倉書房 1956年

*24 鈴木尚 「東北地方の古人骨」(蝦夷)朝倉書房 1956年

*25 斎藤忠 「蝦夷の文化とアイヌの文化」(蝦夷)朝倉書房 1956年

*26 鈴木尚 「青森県上北郡滝尻洞窟」(日本考古学年報5) 1957年

*27 氏家和典 「古代土師器の型式分類とその編年」(歴史14) 東北史学会編 1957年

*28 桜井清彦 「青森県市浦村赤坂遺跡」(日本考古学年報7) 1958年

*29 井上久 「津軽地方における石器時代の蝦夷」(弘前大学国史研究10・11) 1958年

*30 桜井清彦 「東北地方北部における土師器と竪穴に関する諸問題」(館址)東京大学出版会 1958年

*31 斎藤忠 「北日本における古砦址の概観」(館址)東京大学出版会 1958年

*32 江上波夫・関野雄・桜井清彦 「青森県北津軽郡市浦村相内福島城址」(館址) 1958年

*33 井上久 「津軽地方における先史農耕について」(東奥文化12) 1958年

*34 音喜多富寿・江坂輝弥 「青森県八戸市大字沢里鹿島沢古墳群踏査予報」(史想9) 1958年

*35 江坂輝弥 「奥羽地方北部の縄文文化の終末とそれ以降の文化」(弘前大学国史研究14) 1958年

*36 石附喜三男 「奥尻島青苗貝塚の内耳を有する土器について」(黒曜石9) 1959年

*37 音喜多富寿 「鹿島沢古墳群調査略報」(奥南史苑4) 1960年

*38 村越潔 「東北考古学会の動向-青森県の考古学の現状-」(東北考古学1) 1960年

*39 江坂輝弥 「先史時代における奥羽地方北部と北海道地方の文化交流の研究」(民族学研究26-1) 1961年

*40 工藤正・尾上町教育委員会 『尾上町古代遺跡(1961年度発掘調査報告書)』 1962年

*41 洞穴遺跡調査会 「洞穴遺跡地名表(1)」(洞穴遺跡調査会会報1) 1962年

*42 桜井清彦 「擦文文化に関する若干の問題」(史観65~67合冊) 1962年

*43 日本考古学協会洞穴遺跡調査特別委員会 『日本洞穴遺跡地名表(第1版)』 1963年

*44 江坂輝弥 「青森県下の洞穴遺跡」(洞穴遺跡調査会会報9) 1963年

*45 村越潔 「奥羽地方北部の洞穴遺跡」(洞穴遺跡調査会会報9) 1963年

*46 石附喜三男 「擦文式文化関係文献目録」(釧路の古代文化5) 1963年

*47 加藤泰男 「青森県八戸市発見の後北式注口土器」(考古学雑誌49-1) 1963年

*48 橘善光 「青森県における考古学の諸問題」(うとう61) 1964年

*49 佐藤達夫・成田末五郎ほか 『中里町誌』 1965年

*50 橘善光 『東奥文化』(30)青森県文化財保護協会編 1965年

*51 石附喜三男 「北海道における土師器の諸問題-とくに擦文式土器との関連における一考察-」(先史学研究5) 1965年

*52  〃  「東北地方北部における末期古墳の様相」(古代文化14-2)古代学協会 1965年

*53 江坂輝弥 「下北地方の考古学的調査回顧」(人類科学17) 1965年

*54  〃  「青森県九艘泊岩陰遺跡調査報告書」(石器時代7) 1965年

*55 江坂輝弥・高山純・渡辺誠 「青森県下北郡九艘泊岩陰遺跡調査報告」(石器時代7) 1965年

*56 菅江真澄 『菅江真澄遊覧記Ⅰ』東洋文庫(54)平凡社 1965年

*57 大場利夫・千代肇 「周辺地域の情勢-北海道-」(日本の考古学Ⅲ 弥生時代) 1966年

*58 渡辺誠 「下北半島割石遺跡採集の擦文土器について」(考古学雑誌51-3) 1966年

*59 石附喜三男 「北海道南部における8世紀前後の墳墓とその系統」(古代学12-4) 1966年

*60 大場磐雄 「上代馬形遺物再考」(国学院雑誌67-1号所収) 1966年

*61 江坂輝弥 「下北半島の先史・原始時代遺跡」(下北-自然・文化・社会-) 1967年

*62  〃  「青森県の東部と西部」(うとう70) 1967年

*63 村越潔 「津軽地方の考古学」(うとう70) 1967年

*64  〃  「奥羽地方の洞穴遺跡-青森県下の洞穴遺跡-」(日本の洞穴遺跡) 1967年

*65 江坂輝弥 「奥羽地方の洞穴遺跡-概況-」(日本の洞穴遺跡) 1967年

       『下北』九学会連合下北調査委員会編
*66 宇田川洋 「擦文式文化研究略史」(北海道考古学3)北海道考古学会 1967年

*67 平山久夫 「津軽平野における土師器の低地遺跡」(考古学ジャーナル10) 1967年

*68 和島誠一 「原始集落の構成」(日本歴史学講座) 1948年

*69 橘善光 「下北半島尻屋大平貝塚」(考古学ジャーナル12) 1967年

*70 北林八州晴 「青森県陸奥湾沿岸の製塩土器(予報)」(考古学研究8-4) 1967年

*71 石附喜三男 「擦文式土器の初現的形態に関する研究」(札幌大学一般教養部紀要1) 1968年

*72 桜井清彦 「東北地方の擦文文化について」(北奥古代文化1) 1968年

*73 橘善光 「青森県脇野沢村桂沢の擦文土器について」(考古学ジャーナル22) 1968年

*74 斎藤忠・村越潔ほか 『岩木山-岩木山麓古代遺跡発掘調査報告書-』岩木山刊行会 1968年

*75 北林八洲晴 『青森市原始時代研究録』Ⅰ 1968年

*76 前田豊邦 「土製馬に関する試論」(古代学研究53号所収) 1968年

*77 桜井清彦・北林八洲晴 「青森市擦文土器について」(北奥古代文化2) 1969年

*78 北林八洲晴 「土師器と擦文土器」(うとう73) 1969年

*79  〃  「青森県夏泊半島の製塩土器」(月刊考古学ジャーナル38) 1969年

*80 桑原滋郎 「ロクロ土師器坏について」(歴史39) 1969年

*81 大高興 『縄文文化遺物集成』 1969年

*82 橘善光 「青森県東通村白糠採集の土師器と擦文土器について-下北半島の擦文土器の成立に関する試論-」(古代53) 1970年

*83 桜井清彦 「擦文文化研究の現況(Ⅰ)」(考古学ジャーナル43) 1970年

*84 宮崎道生 『青森県の歴史』山川出版社 1970年

*85 菊池徹夫 「擦文式土器の形態分類と編年についての一試論」(物質文化15) 1970年

*86 北林八洲晴 「津軽半島における擦文土器の新資料」(北海道考古学7) 1971年

*87 葛西励 「青森市築木館遺跡出土の擦文土器について」(撚糸文2) 1971年

*88 橘善光 「第一田名部小学校校庭遺跡-第1次調査概報-」(北奥古代文化3) 1971年

*89 近藤義郎 「製塩」(新版考古学講座特論〈中〉雄山閣) 1971年

*90 桜井清彦 「青森県小館遺跡の調査(速報)」(考古学ジャーナル62) 1971年

*91 小田富士雄 「古代形代馬考」(史淵第105・106合輯号所収) 1971年

*92 青森市教育委員会 「大浦遺跡調査報告書」(青森市の埋蔵文化財7) 1972年

*93 工藤雅樹・桑原滋郎 「東北地方における古代土器生産の展開」(考古学雑誌57-3) 1972年

*94 佐藤達夫 「擦文土器の変遷について」(常呂)東京大学文学部考古学研究室編 1972年

*95 橘善光 「青森県下北半島の土師器-川内町宿野部上野平遺跡出土資料を中心として-」(北奥古代文化4) 1972年

*96 江坂輝弥 「奥羽地方北部の古墳時代の文化」(北奥古代文化4) 1972年

*97 千代肇 「津軽海峡の文化-考古学からみた南進の文化-」(うそり9) 1972年

*98 坂詰秀一 「津軽持子沢窯跡の調査」(考古学ジャーナル75) 1972年

*99 沼舘愛三 『南部諸城の研究』(みちのく双書第13集) 1947年

*100 北林八洲晴 「青森県陸奥湾沿岸の製塩土器(予報)」(考古学研究8-4) 1972年

*101 青森県教育委員会 『むつ小川原開発予定地域内埋蔵文化財分布調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第1集) 1973年

*102 橘善光 「下北半島史-宇曽利にみられる下北の遺跡と遺物-」(うそり10) 1973年

*103  〃  「大間崎烏間遺跡の土器について」(北海道考古学9) 1973年

*104  〃  「下北半島の擦文式土器-大間崎割石遺跡を中心に」(北奥古代文化5) 1973年

*105 石附喜三男 「擦文式文化における墳墓の一様相」(古代文化25-2・3) 1973年

*106 奥山潤ほか 『大館市片山館コ発掘調査報告書-第1次-』(大館市史編さん調査資料5) 1973年

*107 桜井清彦 「青森県沢田A遺跡の調査報告」(北奥古代文化5) 1973年

*108 工藤竹久 「下北半島大平D地点遺跡」(考古学ジャーナル83) 1973年

*109 北林八州晴 「陸奥湾沿岸に於ける土器製塩」(北奥古代文化5) 1973年

*110 青森県教育委員会 『中里町大沢内溜池遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財発掘調査報告書第20集) 1974年

*111 石附喜三男 「擦文式文化における農耕作物」(古代学研究74) 1974年

*112 石井昌国 『蕨手刀』雄山閣 1966年

*113 橘善光 「北海道古代文化の本州北部への波及-下北半島の北方的遺跡-」(北海道史研究3) 1974年

*114  〃  「下北半島の製塩-脇野沢村瀬野の製塩土器を中心に-」(うとう)80、青森郷土会 1974年

*115 橘善光・工藤竹久 「第2章 平館村の原始・古代の文化 青森県東津軽郡今津遺跡調査慨報」(平館村史)平館村 1974年

*116 橘善光・奈良正義 「青森県大間貝塚調査概報」(考古学ジャーナル99) 1974年

*117 石附喜三男 『ウサクマイ遺跡-B地点発掘調査報告書-』千歳市教育委員会 1974年

*118 森浩一 「馬」(日本古代文化の探究) 1974年

*119 青森県教育委員会 『近野遺跡発掘調査報告書(Ⅱ)』(青森県埋蔵文化財調査報告書第22集) 1975年

*120 福島県立博物館 『東北からの弥生文化』 1993年

*121 江坂輝弥 「青森・稲崎遺跡」(北奥の古代文化)学生社 1975年

*122 坂詰秀一他 「シンポジウム北奥の古代文化の諸問題-土師器と須恵器と擦文土器-」(北奥の古代文化)学生社 1975年

*123 村越潔 『青森県の原始時代』北方新社 1975年

*124 金子浩昌・橘善光・奈良正義 「大間貝塚第2次調査概報」(北海道考古学11) 1975年

*125 村越潔 「書評-平山久夫編・北奥の古代文化-」(考古学ジャーナル106) 1975年

*126 高杉博章・木村鉄次郎 「津軽平野における擦文式土器の新例と問題点」(北奥古代文化7) 1975年

*127 橘善光 「青森県大間町奥戸出土の擦文式土器」(北奥古代文化7) 1975年

*128 桑原滋郎 「東北地方北部の第Ⅰ型式の土師器について」(日本考古学協会・1975年度大会研究発表) 1975年

*129 小笠原好彦 『土馬考』(物資文化25号) 1975年

*130 青森県教育委員会 『千歳(13)遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第27集) 1976年

*131 橘善光 「アイヌ在地における下北の中世-考古学研究の立場から-」(うそり13) 1976年

*132  〃  「下北半島のアイヌ・モシリ」(季刊どるめん11)JICC出版局 1976年

*133 金子浩昌・橘善光・奈良正義 「大間貝塚第3次調査概報」(考古風土記1) 1976年

*134 寺田徳穂 「下北郡川内町上の平遺跡」(考古風土記1) 1976年

*135 桑原滋郎 「東北地方北部および北海道の所謂第Ⅰ型式の土師器について」(考古学雑誌61-4) 1976年

*136 桑原滋郎 「須恵系土器について」(東北考古学の諸問題)東北考古学会編 東出版 寧楽社 1976年

*137 本堂寿一 『研究ノート・蝦夷館雑考』(日本城郭大系2) 1980年

*138 佐藤信行 「東北地方の後北式文化」(東北考古学の諸問題) 1976年

*139 石附喜三男 「擦文式文化の終末年代に関する諸問題」(江上波夫教授古稀記念論集 考古・美術編) 1976年

*140 前田潮 「北海道の内耳土器について」(和歌森太郎先生還暦記念 古代・中世の社会と民俗文化) 1976年

*141 豊巻幸正 「八戸市塩入遺跡の江別式土器について」(うとう82) 1976年

*142 青森県教育委員会 『鳥海山遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第32集) 1977年

*143 青森県教育委員会 『近野(Ⅲ)・三内丸山(Ⅱ)遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第33集) 1977年

*144 青森県教育委員会 『石上神社遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第35集) 1977年

*145 橘善光 「青森県大間貝塚-ドゥマンチャ貝塚との関連において-」(うそり14) 1977年

*146  〃  「下北半島の擦文式土器」(下北の古代文化) 下北の歴史と文化を語る会 1977年

*147  〃  「大間崎鳥間遺跡の後北式土器」(下北の古代文化) 1977年

*148 橘善光・奈良正義 「青森県宿野部上野平遺跡-擦文時代の製塩遺跡-」(北海道考古学13) 1977年

*149 高杉博章 「本州における擦文文化の様相」(考古風土記2) 1977年

*150  〃  「擦文式土器」(石上神社遺跡発掘調査報告書)青森県教育委員会 1977年

*151 桜井清彦 「小館及び油川城址出土の擦文土器」(考古風土記2) 1977年

*152 宇田川洋 「擦文文化の形成」(北海道の考古学2)北海道出版企画センター 1977年

*153 小井川和夫・高橋守克 「宮城県対馬遺跡出土の土器」(宮城史学5) 1977年

*154 平内町 「第2章第1節 先史時代」(平内町史上巻) 1977年

*155 八戸市教育委員会 『岩ノ沢平遺跡発掘調査報告書Ⅱ』 1992年

*156 青森県教育委員会 『青森市三内遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第37集)1978年

*157 青森県教育委員会 『源常平遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第39集) 1978年

*158 青森県教育委員会 『黒石市高館遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第40集) 1978年

*159 日本塩業大系編集委員会(近藤義郎) 「史料編 考古」(日本塩業大系) 1978年

*160 本堂寿一 「東北におけるチャシ論史考」(北奥古代文化6) 1977年

*161 竹内正光 「青森県金木町出土の続縄文期土偶と擦文土器」(考古風土記3) 1978年

*162 橘善光 「江別式土器文化の南下・土師器と北大式・擦文土器の文化」(下北半島の歴史と民族) 1978年

*163 青森県教育委員会 『金木町神明町遺跡』 1979年

*164 大石直正 「中世の黎明」(中世奥羽の世界)東京大学出版会 1978年

*165 加藤孝 『日本塩業大系 資料編 考古』日本塩業大系編集委員会 1978年

*166 北林八洲晴 「擦文土器・製塩土器・土製支脚について」(青森市三内遺跡発掘調査報告書)青森県教育委員会 1978年

*167 楢崎彰一 「初期中世陶における3筋文の系譜」(名古屋大学文学部研究論文集24) 1978年

*168 青森県教育委員会 『杉ノ沢遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第43集) 1979年

*169 青森県教育委員会 『羽黒平遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第44集) 1979年

*170 青森県教育委員会 『松元遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第45集) 1979年

*171 青森県教育委員会 『細越遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第49集) 1979年

*172 板橋範芳 「縄文・弥生時代の文化」(大館市史1) 1979年

*173 橘善光・奈良正義 「青森県鳥間遺跡第1次調査報告書」(北海道考古学15) 1979年

*174 鈴木克彦 「青森県の擦文文化」(季刊どるめん22) 1979年

*175  〃  「弥生土器集成Ⅱ」(考古風土記4) 1979年

*176 桜井清彦 「考古学から見た蝦夷」(日本古代文化の探求-蝦夷) 1979年

*178 桑原滋郎 「東北地方の土器編年」(日本考古学協会54年度大会・シンポジュウム資料) 1979年

*179  〃  「東北の須恵器」(世界陶磁全集3) 1979年

*180 石附喜三男 「北海道における土器文化の終焉と附随する諸問題」(地方史研究162) 1979年

*181 上野秀一編 『札幌市文化財調査報告書ⅩⅩ』札幌市教育委員会 1979年

*182 小川貴司 「回転糸切り技法の展開」(考古学研究26-1) 1979年

*183 藤田亮一 『蛍沢遺跡』青森市蛍沢遺跡発掘調査団 1979年

*184 菊池徹夫 「擦文文化の鉄器について」(季刊どるめん22) 1979年

*185 青森県教育委員会 『碇ヶ関村古館遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第54集) 1980年

*186 青森県教育委員会 『永野遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第56集) 1980年

*187 弘前市教育委員会 『弘前市小友遺跡発掘調査報告書』 1980年

*188 青森山田高等学校考古学研究部 『撚糸文』(9)(尾上町李平Ⅱ号遺跡発掘調査報告書) 1980年

*189 青森県立郷土館 『よみがえる奈良・平安時代の青森-発掘資料から郷土の歴史を考える』 特別展・解説図録 1980年

*190 葛西励・尾上町教育委員会 『李平Ⅱ号遺跡発掘調査報告書』 1980年

*191 八戸市教育委員会 『風張(1)遺跡Ⅱ』 1990年

*192 盛田稔他 『日本城郭大系(2)青森・岩手・宮城』 1980年

*193 菊池徹夫 「擦文文化の終末年代-北日本中世史の理解のために-」(古代探叢-滝口先生古稀記念考古学論集)早稲田大学出版部 1980年

*194 上野秀一編他 『札幌市文化財調査報告書ⅩⅩⅡ』札幌市教育委員会 1980年

*195 宇田川洋 『アイヌ考古学』教育社 1980年

*196 前田潮 「擦文時代の火処について」(北方科学調査報告) 1980年

*197 青森県教育委員会 『中野平遺跡・向山(4)遺跡』 1990年

*198 尾上町教育委員会 『高木遺跡発掘調査報告書』(調査報告第3集・考古-3) 1981年

*199 中島全二 「刻文土器の発生について」(うそり18) 1981年

*200 橘善光 「解説」(うそり18) 1981年

*201 鈴木克彦 「津軽の古代史-田舎館村を中心とした奈良・平安時代の歴史-」(館城文化18) 1981年

*202 岩本義雄ほか 『尻八館調査報告書』青森県立郷土館 1981年

*203 佐々木達夫 「日本海の陶磁貿易」(日本海文化8) 1981年

*204 竹内正光 「津軽平野における擦文の遺跡」(考古風土記6) 1981年

*205 杉山武 『将木館遺跡発掘調査報告書』東通村教育委員会 1981年

*206 鈴木克彦・松岡敏美 「青森県小泊村の出土遺物について」(とひよう3) 1981年

*207 新谷武 「五所川原市周辺の須恵器窯跡出土の長頸壺について」(弘前大学考古学研究1) 1981年

*208 大橋康二 「Ⅳ章 考古学的考察」(尻八館調査報告書)尻八館調査委員会 1981年

*209 野辺地町教育委員会 『槻ノ木遺跡発掘調査報告書』 1981年

*210 青森県教育委員会 『発茶沢遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第67集) 1982年

*211 青森県教育委員会 『山崎遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第68集) 1982年

*212 村越潔 『青森県考古学関係文献目録』 1982年

*213 高杉博章 「擦文文化の終焉」(史学25-2) 1982年

*214 青森県立郷土館編 『弥生時代の青森-北限の稲作の起源を求めて-』特別展・解説書 1982年

*215 高橋信雄 「東北地方北部の土師器と古代北海道系土器の対比」(北奥古代文化13) 1982年

*216 藤本強 「擦文文化の社会」(擦文文化)教育社 1982年

*217 向谷地芳久 「八戸市楢館Ⅱ遺跡から採集した弥生式土器について」(奥南2) 1982年

*218 青森県教育委員会 『和野前山遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第82集) 1983年

*219 横浜町教育委員会 『檜木遺跡発掘調査報告書』 1983年

*220 平賀町教育委員会 『木戸口遺跡発掘調査報告書』(平賀町埋蔵文化財報告書第12集) 1983年

*221 ・八戸市教育委員会 『史跡根城跡発掘調査報告書Ⅴ』(八戸市埋蔵文化財調査報告書第11集) 1983年

*222 佐々木達夫ほか 「津軽・蓬田大館の発掘-1981年-」(日本海文化10) 1983年

*223 石附喜三男 「擦文式文化における東北地方」(角田文衛博士古代学業論) 1983年

*224 北林八洲晴 「古代(奈良・平安時代)」(青森県の考古学)青森大学出版局 1983年

*225 海保嶺夫 「和人政権の成立」(北海道の研究3)清文堂 1983年

*226 菊池徹夫 「擦文文化研究の現状と課題」(考古学ジャーナル213) 1983年

*227 鈴木克彦・工藤清泰 「青森から出土した宋元陶磁」(考古学ジャーナル217) 1983年

*228 本沢慎輔 『柳之御所跡発掘調査報告書』(平泉町文化財調査報告書第1集) 1983年

*229 小山内寿一・岡田康博 「木造町神田遺跡出土の後北式土器について」(弘前大学考古学研究) 1983年

*230 佐伯有清 「刻字土器「〓」の意義」(サクシュコトニ川遺跡発掘調査報告書)北海道大学 1983年

*231 青森県教育委員会 『朝日山遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第87集) 1984年

*232 八戸市教育委員会 『八戸新都市区域内埋蔵文化財発掘調査報告書-湯浅屋新田遺跡-』(八戸市埋蔵文化財調査報告書第13集) 1984年

*233 橘善光 「中島全二蒐集遺物集成(2)」(うそり21) 1984年

*234 石附喜三男 「擦文式土器の編年的研究」(北海道の研究2)清文堂 1984年

*235 藤沼邦彦他 『水沼窯跡発掘調査報告』 1984年

*236 高橋与右ヱ門 「須恵器大甕にみられる放射状当て具痕について」(紀要Ⅳ)岩手県埋蔵文化財センター 1984年

*237 脇野沢村教育委員会 「貝崎遺跡発掘調査報告書」(脇野沢村文化財調査報告書第3集) 1984年

*238 市浦村教育委員会 『十三・中島遺跡』 1984年

*239 近藤義郎 「東北」(土器製塩の研究)青木書店 1984年

*240 福田友之 「津軽・稲垣村松枝遺跡出土の擦文文化資料」(北海道考古学23輯) 1985年

*241 一町田工 「尻高(5)遺跡・郷沢遺跡の製塩土器」(青森県考古学2) 1985年

*242 久保泰 『札前』松前町教育委員会 1985年

*243 青森県教育委員会 『独狐遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第99集) 1986年

*245 青森県教育委員会 『沖附(1)遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第100集) 1986年

*246 市浦村教育委員会 『市浦村十三湖中島遺跡発掘調査報告書』(第2次) 1986年

*247 小島弘義 「古代相模国出土の墨書土器」(考古学資料館紀要第2輯) 1986年

*248 菊池徹夫 「蝦夷考古学の現状と課題」(歴史評論434) 1986年

*249 福田友之 「平内町横峰貝塚発見の遺物」(遺址5) 1985年

*250 青森県教育委員会 『境関館遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第102集) 1987年

*251 青森県教育委員会 『山本遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第105集) 1987年

*252 青森県教育委員会 『弥栄平(4)(5)遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第106集) 1987年

*253 八木光則 「安倍・清原氏の城柵遺跡」(岩手県考古学1) 1989年

*254 高橋学 「秋田県内出土の墨書土器集成」(秋田県埋蔵文化財センター研究紀要第1号) 1987年

*255 天野哲也 「本州北端部は擦文文化圏にふくまれるか」(考古学と地球文化 同志社大学考古学シリーズⅢ) 1987年

*256 豊田宏良 「擦文土器にみる貼付囲続帯文様の分析-馬蹄形押捺文を中心として-」(遡航5) 1987年

*257 桜井清彦・菊地徹夫 『蓬田大館遺跡』(早稲田大学文学部考古学研究報告書)六興出版 1987年

*258 白鳥良一 「多賀城跡出土土器の変遷」(研究紀要』Ⅵ)宮城県多賀城跡調査研究所 1987年

*259 三嶋隆儀・庄内昭男 「男鹿市小谷地遺跡の墨書土器」(秋田県立博物館研究報告第12号) 1987年

*260 弘前市教育委員会 『石川長者森』 1987年

*261 青森県教育委員会 『荼毘館遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第110集) 1988年

*262 青森県教育委員会 『李平下安原遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第111集) 1988年

*263 青森県教育委員会 『小田内沼(1)遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第107集) 1988年

*264 福田友之 「十三湖周辺地域の考古学的研究の現状と課題」(総合研究 津軽十三湖)佐々木孝二編 1988年

*265 相馬信吉 「続縄文期から擦文期にかけての津軽海峡」(教育こうほう422) 1988年

*266 小杉嘉四蔵 『蒐集考古学資料写真集』 1988年

*267 三沢市教育委員会 「根井沼(1)遺跡緊急発掘調査報告書Ⅱ」(三沢市埋蔵文化財調査報告書4) 1988年

*268 新谷武 「前田野目砂田遺跡出土の箆書土器について」(北奥古代文化第7号) 1975年

*269 浪岡町教育委員会 『浪岡城跡Ⅹ』(昭和61・62年度浪岡城跡発掘調査報告書) 1989年

*270 新谷武・村越潔ほか 『懸河遺跡発掘調査報告書』(稲垣村文化財報告書第1集)稲垣村教育委員会 1989年

*271 村越潔ほか 『中里城跡試掘調査報告書』(中里町文化財調査報告書第1集)中里町教育委員会 1989年

*272 葛西励 『青森市小牧野遺跡発掘調査報告』 1989年

*273 橘善光 「中島全二蒐集遺物集成(7)」(うそり26) 1989年

*274 田才雅彦 「北大式土器」(北奥古代文化第14号) 1983年

*275 青森県教育委員会 『中崎館遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第129集) 1990年

*276 浪岡町教育委員会 『大沼遺跡発掘調査報告書』(浪岡町埋蔵文化財緊急発掘調査報告書第4集) 1990年

*277 平賀町教育委員会 『大光寺新城跡遺跡(第2次)発掘調査報告書』(平賀町埋蔵文化財報告書第19集) 1990年

*278 八戸市教育委員会 『見立山(2)遺跡』(八戸市埋文報38集) 1990年

*279 八戸市教育委員会 『遺跡が語る八戸の歴史』(文化財シリーズ31) 1990年

*280 斎藤淳 『中里城跡Ⅰ』(中里町文化財調査報告書第2集) 中里町教育委員会 1990年

*281 青森県埋蔵文化財調査センター 『図説ふるさと青森の歴史-総括編』 1990年

*282 三浦圭介 「日本海北部における古代後半から中世にかけての土器様相」(シンポジウム 土器からみた中世社会の成立) 1990年

*283 岡田康博 「青森県西津軽郡鰺ヶ沢町杢沢遺跡」(日本考古学年報41) 1990年

*284 横山英介 『擦文文化』(考古学ライブラリー59) 1990年

*285 西連寺健 「いわゆる北大式省察野帳」(古代第69・70合併号) 1981年

*286 津野仁 「地方官衙出土の墨書土器」(古代) 1990年

*287 中里町教育委員会 『中里城跡Ⅱ・平山西遺跡』 1991年

*288 八戸市博物館 「製塩土器」(特別展 八戸の古代-むらと人びとのくらし展示目録) 1991年

*289 八戸市教育委員会 『丹後平古墳 八戸新都市区域内埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅹ』(八戸市埋蔵文化財調査報告書第44集) 1991年

*290 田舎館村教育委員会 『前川遺跡発掘調査報告書』 1991年

*291 盛田稔・長谷川成一編 『図説青森県の歴史』(図説日本の歴史2)河出書房新社 1991年

*292 三浦圭介 「本州の擦文文化」(考古学ジャーナル) 1991年

*293  〃  「古代における東北地方北部の生業」(北からの視点) 1991年

*294 齋藤淳 「北津軽郡に於ける古代の諸相」(北奥文化) 1991年

*295 津野仁 「土器に書かれた文字」(考古学ジャーナル328) 1991年

*296 七戸町教育委員会 『作田遺跡』(七戸町埋蔵文化財調査報告書第5集) 1992年

*297 三浦圭介 「青森県での遺跡調査におけるフロテーション法の導入とその成果について」(考古学ジャーナル) 1992年

*298  〃  「青森県における古代の土器様相」(第18回古代城柵官衙遺跡検討会資料)

*299 三浦圭介・岡田康博 「津軽五所川原古窯跡群について」(東日本における古代の・中世窯業の諸問題) 1992年

*300 青森県教育委員会 『家ノ前遺跡・幸畑(7)遺跡Ⅱ』(青森県埋蔵文化財調査報告書第148集) 1993年

*301  〃  『内真部(4)遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第158集) 1993年

*302 五所川原市 『五所川原市史 史料編1』 1993年

*303 三浦圭介 「青森県における律令期の祭祀遺物」(第19回古代城柵官衙遺跡検討会資料) 1993年

*304 松本建速 「東北北部の平安時代のなべ」(紀要Ⅵ) 1990年

*305 三浦圭介 「青森県の古墳時代併行期の諸問題」(第5回縄文文化検討会シンポジウム「北日本続縄文文化の実像」) 1994年

*306  〃  「古代東北地方北部の生業にみる地域差」(北日本の考古学) 1994年

*307 大館市 『矢立廃寺発掘調査報告書』 1989年

*308 藤沼邦彦 「袈裟襷文を出土した石巻市水沼窯跡」(東北歴史資料研究紀要第8巻) 1982年

*309 石巻市教育委員会 『水沼窯跡発掘調査報告書』 1984年

*310 吉岡康暢 「北陸・東北の中世陶磁器をめぐる問題」(庄内考古学18) 1982年

*311  〃  「食の文化」(岩波講座 日本通史 第8巻 中世) 1994年

*312 東北大学東北文化研究会編 『奥州藤原史料』 1978年

*313 松本建速 「柳之御所跡出土かわらけ編年試案」(研究紀要ⅨⅢ) 1993年

*314 工藤雅樹 『古代の蝦夷』河出書房新社 1992年

*315 近藤義朗編 『日本土器製塩研究』青木書店 1994年

*316 秋田県教育委員会 『払田柵跡Ⅰ-政庁跡-』 1985年

*317 山田一郎・井上克弘 「東北地方を覆う古代の珪長質テフラ〝十和田-大湯浮石〟の同定」(第四紀研究第29巻第2号) 1990年

*318 青森県教育委員会 『杢沢遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第130集) 1990年

*319  〃  『牡丹平南・浅瀬石遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第26集) 1976年

*320 坂井秀弥 「北陸型土師器長甕の製作技法」(新潟考古学談話会会報第3号) 1992年

*321 八戸市教育委員会 『風張(2)遺跡』 1991年

*322 宇部則保 「青森県における7・8世紀の土師器」(北海道考古学第25輯) 1989年

*323 葛西励・高橋潤 『尾上町原遺跡発掘調査報告』尾上町教育委員会 1990年

*324 三浦圭介 「考古学的に見た奥州藤原氏と津軽地方の関係」(年報「市史ひろさき」第3号) 1994年

*325 村越潔・新谷武 「青森県前田野目砂田遺跡発掘調査概報」(北奥古代文化第6号) 1974年

*326 五所川原市教育委員会 『津軽前田野目窯跡』 1968年

*327 坂詰秀一 『津軽前田野目窯跡』 1973年

*328 坂詰秀一 「津軽持子沢窯跡調査概報」(北奥古代文化第5号) 1973年

*329 新谷武 『桜ケ峰窯跡調査概要』 1973年

*330 阿部義平 『蝦夷の墓-森ケ沢遺跡調査概要』 1994年