15世紀の前半は津軽安藤氏の最盛期と考えられる時期、後半は南部氏の支配が広がる時期と推定されるが、関連する遺跡から出土している多量の陶磁器は、それらの政治状況に対応した様相を呈する。例えば、中国陶磁器の中で、青磁は蓮弁文を有する碗から無文碗の比率が増大し、白磁は軟質な口縁内湾形の皿と面取りをした小杯があり、後半になると染付も搬入されたようである。また、朝鮮製の粉青沙器が多く見られるようになるのもこの時期である。国産品では、瀬戸美濃があな窯から大窯へと移行する時期であり、前代までの高級陶器という観点から、庶民向けの大量生産品へと変質する状況が見られ、県内から出土する灰釉皿などに認めることができる。また、珠洲擂鉢・甕・壺に代わって越前の擂鉢・甕・壺が流入する時期であり、北陸地方との関係でも様相の変化が起こる。特に、瓦質土器の火鉢などはこの時期から搬入される量が多くなり、16世紀に至ってはかなりのバリエーションを有するようになる(尻八館出土品・図10-2、図13参照)。この瓦質土器を在地生産とする考え方もあるようだが、全国的な流通スタイルを見ても搬入されたものと見るべきであろう。これらの様相は、各遺跡によって多少の相違が認められるものの、中核になる遺跡からは15世紀後半~16世紀まで継続した生活痕が理解できるようになった。
図13 浪岡城跡出土瓦質土器
主要な遺跡としては、市浦村十三湊遺跡・伝山王坊跡・檀林寺跡・二ツ沼遺跡、小泊村弁天島遺跡、今別町大開城跡、中里町中里城跡、青森市尻八館遺跡・油川城跡、蓬田村蓬田大館遺跡、浪岡町浪岡城跡、平賀町大光寺城跡、弘前市境関館跡、八戸市根城跡であり、安藤氏関連遺跡が多いものの陶磁器の搬入は県内全域への広がりが認められる。詳細は第5章の境関館出土陶磁器を参照願いたい。
北海道函館市の志海苔館の陶磁器は、青森県内の遺跡出土品と若干の相違はあるものの、15世紀代としてはまとまった資料である。