(1)所在地 弘前市大字高杉字尾上山、俗称寺屋敷または高杉山
(2)遺跡の立地
岩木山の東北東麓に点在する小丘糠森山(149.3m)の東約1.2kmに所在し、灌漑用の奈良寛溜池に面した標高約120mの台地上にある。
(3)調査の経緯
昭和32年(1957)に計画決定を見た、岩木山麓原野の大規模開発に対する事前調査により、弘前市教育委員会が昭和34年(1959)9月21日から同月31日までと、翌35年(1960)6月9日から7月4日にかけて緊急発掘調査を実施した。
(4)遺構・遺物の概要
台地上の先端を囲む盛土部と中央平坦部、台地下東側の崖下平坦部に分かれた3地域に16本のトレンチを設定した。しかし住居跡等の遺構は見られず、小ピットとわずかな焼土・炭化物(クルミ・ナラ等)のほか、多量の縄文時代晩期の土器が発見された。土器は大洞B式・大洞BC式・大洞C1式・大洞C2式・大洞A式・大洞A’式であり、いわゆる亀ヶ岡式に属する精粗の土器である。なお粗製の深鉢形・壺型など数点の土器を除くとすべて破片であった。個体分類を試みると、注口土器をはじめ同時期の土器形態がすべて存在するようである。また、青森県立郷土館所蔵の風韻堂コレクションの中に、当遺跡出土の熊を表した土製品(大洞A式、第2章図18)がある。
※参考文献 渡辺兼庸「尾上山遺跡」(岩木山-岩木山麓古代遺跡発掘調査報告書)弘前市教育委員会 1966年3月
図3 尾上山遺跡(縄文晩期)出土遺物
皿形土器
磨製石斧
石棒・石剣ほか
石棒ほか
尾上山遺跡遠景(東方より望む)