(遺跡番号 02117)
(1)所在地 弘前市大字鬼沢字猿沢337・349ほか
(2)遺跡の立地
当遺跡は、黄金山(168.3m)の東南麓、前述の尾上山遺跡とは奈良寛溜池を挟んだ対岸の丘陵緩傾斜面に所在する。
(3)調査の経緯
当遺跡は、津軽中部広域農道の路線予定地内にあり、当該道路建設に伴う緊急調査として、平成元年(1989)5月8日~同年8月9日に、尾上山(2)・同(3)遺跡と同様、青森県教育委員会が発掘調査を実施した。
(4)遺構・遺物の概要
遺跡としては、縄文時代後期の十腰内Ⅴ群(式)土器の竪穴住居跡1軒・土壙27基・配石遺構1基・焼土遺構2・時期不明の柱穴8・降下火山灰の混入状況から平安時代後半期と考えられる溝1条である。竪穴住居跡は、壁面が削平されたり、一部は調査区域外のために完掘されていない。不整な長方形と考えられている。土壙は、開口部が円または楕円形を呈し、大きさは開口部で最大158×120cm、最小53×29cm、底面の最大149×144cm、最小11×7cm、深さでは最も深いもの65cm、浅いもの5cmであり、断面を見ると、鍋底状とフラスコ状とがあり前者が多い。出土遺物が少ないため時期の不明なものも多いが、明瞭なものは竪穴住居跡と同様に十腰内Ⅴ群(式)土器期である。配石・焼土遺構は伴出遺物がなく、時代時期ともに不明である。出土遺物は、土器及び石器・石製品である。土器は縄文時代に属するものと平安時代のものとがあり、前者はⅡ群に分類されている。Ⅱ群に分けられた縄文土器は第Ⅰ群後期(十腰内Ⅴ群(式))・第Ⅱ群晩期(大洞A式)であり、石器・石製品には、石鏃・石槍・石匙・不定形石器・磨製石斧・石錘・敲石・凹石・石棒等が出土した。ほかに変わったものとして日本刀の鍔が1点発見されている。
※参考文献 青森県教育委員会『鬼沢猿沢・尾上山(2)・(3)遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書135)1991年3月