2.下恋塚遺跡

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(遺跡番号 02213)(図35~39)
(1)所在地 弘前市大字三和字下恋塚189-7ほか
(2)遺跡の立地 岩木山北東麓の標高18mの低台地上に立地する。
(3)調査の経緯
 社会福祉法人つがる三和会による精神薄弱者更生施設建設に伴い、弘前市教育委員会が平成4年(1992)4月21日から同年6月6日まで発掘調査を行った。調査面積は555m2である。
(4)遺跡の概要
 竪穴住居跡6件・堀跡2本・土壙5基が検出された。いずれの遺構も、平安時代中葉(9世紀後半~10世紀前半)のものである。
〔竪穴住居跡〕 竪穴の規模は、1号住居跡(5.40m四方)・2号住居跡(3.40m×3.34m)・3号住居跡(3.58m×4.12m)・4号住居跡(3.50m×3.40m)・5号住居跡(4.16m×4.33m)・6号住居跡(4.50m四方)である。2・3・5号住居跡の3軒は火災を受けている。6軒の竪穴住居跡のうち、完掘できた5軒は、いずれも東竪辺あるいは西竪辺に作り付けのかまどが1基づつ設置されている。袖及び天井部は灰白色の粘土を用いているが、土師器甕や石材(1号住・5号住)を芯材として使用しているものもある。また、燃焼部には、支脚として土師器坏を2個伏せて並べているもの(1号住)・1個伏せておいているもの(3号住)などがある。煙道部は半地下式で、煙出し孔はいずれも竪穴外に出る。
 主柱穴は、いずれの場合も竪穴内では判然としない。本来的には、竪穴外に有する可能性が高い。これらの竪穴住居跡からは、土師器甕及び坏のほか鉄製品・羽口片等の遺物が出土している。土師器焼成窯・土壙とした5基のうち、第1号土壙及び第2号土壙は、土師器焼成窯の性格を持つ可能性が強い。2基とも土壙底面に強く火熱を受けた痕跡があり、そのうち第2土壙からは、同一工人の手になると見られる土師器坏が20個体分廃棄された状態で出土した。いずれも破片での出土であり、焼成時の破損と見られる。

図35 下恋塚遺跡遺構配置図


図36 下恋塚遺跡第2号住居跡


図37 下恋塚遺跡第3号住居跡


図38 下恋塚遺跡住居跡出土土師器(1~6第2号住居跡・7~10第3号住居跡・11~12第5号住居跡)


図39 下恋塚遺跡第2号土壙土師器坏焼成窯出土土師器


下恋塚遺跡調査風景


下恋塚遺跡調査風景


下恋塚遺跡第1号住居跡全景


下恋塚遺跡第1号住居跡 カマド検出状況


下恋塚遺跡第3号住居跡全景


下恋塚遺跡第3号住居跡 カマド検出状況


下恋塚遺跡第5号住居跡全景


下恋塚遺跡第3号住居跡出土墨書坏(「丸」)


下恋塚遺跡第1・2号土壙(土師器焼成窯)


下恋塚遺跡第2号土壙(土師器焼成窯)土師器出土状況