5.荼毘館遺跡

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(遺跡番号 02091)(図73~83)
(1)所在地 弘前市大字中別所字葛野149-1ほか
(2)遺跡の立地
 南方には大蜂川、北方には多沢川の両河川に挟まれた標高約30mの台地上に立地している。この台地は、岩木山の墳出物により構成された火山性台地で、岩木山麓一帯に広く発達しているものの一部である。
(3)調査の経緯
 弘前市から西津軽郡鰺ヶ沢町に至る津軽中部地区広域農道建設に伴い、青森県教育委員会が、昭和60年(1985)8月9日から同年11月6日までと、翌61年(1986)9月18日から同年10月31日までの2か年にわたり発掘調査をした。
(4)遺構・遺物の概要
 調査の結果、縄文時代(早・中・後・晩期)、平安時代(後期)、中世(13~15世紀)の複合遺跡であることが判明した。なかでも、平安時代後期(10世紀後葉~12世紀前葉)の遺構・遺物が主体を占める。10世紀後半~11世紀代では防御性集落として、また、11世紀末~12世紀前葉期では地方豪族の居館跡としての機能が推定される。なお、呼称されていた荼毘館跡(中別所館跡の一郭)の北側地区であり、遺構・遺物の在り方から、少なくとも、この地区から台地東端の城館に連なる中別所館跡の一部であることが判明した。
〔縄文時代〕 遺構は認められず、少量の土器・石器・土製品が散見するにすぎない。土器は、早期(赤御堂式)、中期(円筒上層b式、最花式、大木10式)、後期(十腰内Ⅰ式)、晩期後半のものである。石器には、石鏃等の剥片石器や磨製石斧等のほか青竜刀型石器もある。
〔平安時代〕 11世紀代を主体とするが、古くは10世紀後半、新しくは12世紀前葉期の遺物も少量散見する。検出された遺構は、竪穴住居跡30軒、掘立柱建物跡15棟、井戸跡6基、土壙94基、焼土遺構19基、溝状遺構63本、堀跡3本である。この多くは、11世紀代を中心とする平安時代後期から末期にかけてのものであるが、一部中世のもの、あるいは、溝等年代が不詳のものもある。
①竪穴住居跡 竪穴内に作りつけのカマドを持つ住居跡や、カマドのない竪穴遺構の2つの形態がある。前者は、壁際に多くの壁柱穴を持つ11世紀代の特徴的なものである。後者は、中世城館に見られるものに形態的には類似するが、出土する遺物は中世のものはなく、11世紀代を主体とするものであるから、この時期の所産と言えよう。
②掘立柱建物 15棟のうち、第8号掘立柱建物跡を除く多くは小規模なもので、梁間1間のものが10棟、2間のものが4棟である。ほかに、調査区外に伸びるため、規模、構造が不明なものが3棟ある。第8号掘立柱建物跡は、梁間3間、桁行4間の総柱の建物に1間×2間の施設が付随するものである。本遺跡中最大規模のものであり、柱の太さも直径20~30cmあり、しかも、柱間寸法も規則的である。総柱の構造であることから、11世紀~12世紀前葉期の大型の「倉庫」跡と推定されている。
③井戸跡 6基のうち、平安時代のものは第41号井戸、20号井戸であり、前者からは比較的まとまった土師器坏、甕、須恵器が、また、後者からは黒色漆塗椀や木製品が出土している。いずれも素掘りの井戸である。
④堀跡 集落を保塞すると見られる空堀跡が、台地北端と中央部で検出されている。1号堀は幅4~5m、深さ約2mの薬研堀である。
⑤出土遺物 土師器、須恵器、古銭、鉄鍋、坩堝、羽口、鉄製品、砥石等が出土している。土師器は坏、甕、壺、把手付土器、小型皿、柱状高台坏がある。これらは、10世紀後半~11世紀末の特徴を持ったものである。ほかに、12世紀代の大小のかわらけの皿が少量ある。須恵器は長頸壺、大甕であるが個体数は少ない。主体は、津軽五所川原窯産のものであるが、一部に北陸に産地が求められるものもある。
〔中世〕 この期の構築物は、荼毘館本体とそれに伴う3号堀、16号井戸、208号井戸等であるが、このほか、時期の判明しない掘立柱建物跡や溝跡の一部も、この期の所産の可能性が高い。また、この時期の出土遺物には、中国産の青磁・白磁の舶載陶磁器、瀬戸・珠洲・越前・信楽等の日本製陶磁器が72点(56~59個体)と古銭、鉄製品、石製品等が出土している(カラー図10・11)。そのほか、3号堀からは碑面の上部に「札」(ア)と推定される種子の刻まれた板碑が1点出土している。なお、本遺跡周辺には中世城館跡が多く存在し、また、正応元年(1288年)などの年号や源光氏などの氏名の刻まれた板碑群が2か所(公郷塚・石仏)あり、源氏一族の活動の舞台となった地域として広く知られている。

カラー図10 荼毘館遺跡出土陶磁器(1) 1~13青磁(表裏)


カラー図11 荼毘館遺跡出土陶磁器(2) 1~4白磁 5~7瀬戸天目 8~11瀬戸灰釉


12・13・15・17・18越前 14・16信楽

※参考文献 青森県教育委員会『荼毘館遺跡発掘調査報告書』昭和63年3月

図73 荼毘館遺跡遺構配置図


図74 荼毘館遺跡地形図(中央網かけ部分が調査区)


図75 荼毘館遺跡掘立柱建物跡


図76 荼毘館遺跡第8号住居跡・出土遺物(土師器)


図77 荼毘館遺跡第27号竪穴遺構(鍛冶遺構)出土遺物(土師器・須恵器・羽口)


図78 荼毘館遺跡第101号竪穴住居跡出土遺物(擦文土器)


図79 荼毘館遺跡第224号土壙(鍛冶遺構)出土遺物


図80 荼毘館遺跡第201号井戸跡・出土遺物(木製品・土師器)


図81 荼毘館遺跡第41号井戸跡・出土遺物(土師器・須恵器)


図82 荼毘館遺跡出土土師器・須恵器


図83 荼毘館遺跡出土陶磁器


荼毘館遺跡航空写真


荼毘館遺跡南端部(調査前 南方から)


荼毘館遺跡全景(調査後 北方から)


荼毘館遺跡 第8号堀立柱建物跡全景


荼毘館遺跡堀跡