6.独狐遺跡

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(遺跡番号 02212)(図84~91)
(1)所在地 弘前市大字独狐字独狐森3ほか
(2)遺跡の立地
 遺跡は岩木山の東麓に位置し、岩木川支流の後長根川左岸の沖積丘陵に面した段丘とその南側の沖積低地上に立地する。この段丘面の標高は約28mで、眼下の沖積低地との比高差は約4mである。
(3)調査の経緯
 津軽中部地区広域農道建設事業に伴い、青森県教育委員会が昭和58年(1983)4月18日から同年6月25日まで(第1次調査)と、昭和59年(1984)5月21日から同年7月17日まで(第2次調査)発掘調査を実施した。調査面積は、第1次調査が2,252m2、第2次調査が2,045m2で計4,297m2である。
(4)遺構・遺物の概要
 2次にわたる発掘調査の結果、平安時代では竪穴住居跡・土壙・溝状遺構、中世では掘立柱建物跡・竪穴遺構・井戸跡・段状遺構の各遺構が検出されている。
 一方遺物では、縄文時代早期・中期・後期・晩期の土器・石器が、また平安時代後半期(10世紀~11世紀代)の土師器・須恵器等が、さらに中・近世の陶磁器(カラー図12・13)・下駄・漆塗椀等の木製品・古銭等が出土している。

カラー図12 独孤遺跡出土陶磁器(1)(表裏)
1・2・8・9白磁 3~6青磁 7美濃瀬戸天目 10・11染付


カラー図13 独孤遺跡出土陶磁器(2)(表裏)
1~4美濃瀬戸灰釉 5・6美濃瀬戸鉄釉

 縄文時代早期の貝殻沈線文系のものから晩期までの数型式の土器が含まれているが、各型式の個体数は1~10個体と極めて少ない。縄文時代においての本遺跡の使われ方は、キャンプ・サイト的なものだったのであろう。早期は寺の沢式・ムシリ式土器、前期は早稲田6類、中期は円筒上層a式・大木8b式、後期は蛍沢Ⅰ群・十腰内Ⅰ式の各型式期のもので、晩期は中葉期のものである。
 石器は、石鏃・石箆・削器・石錘・磨石・敲石・凹石・石皿等の器種がある。
 平安時代の遺構は、竪穴住居跡が1軒検出されているが、これは一辺が5m前後のもので、全体の3分の1しか精査していない。したがって、かまどや柱穴等の付属施設の詳細は不明である。竪穴内からは、10世紀代の土師器甕・同坏・須恵器甕が出土している。
 このほか、多くの溝跡や土壙が検出されている。
 また、この時期の土壙や溝跡あるいは遺構外の出土遺物には、10世紀後半~11世紀代の土師器甕・坏・須恵器甕・坏・凝灰岩製勾玉・砥石がある。12世紀後半の遺構は、掘立柱建物跡の一部や溝跡、あるいは竪穴遺構の一部があるものと考えられるが、遺構内の出土遺物がないため明確ではない。該期の出土遺物は、ロクロ使用の小型皿(かわらけ)・白磁小壺・劃花文(かくかもん)青磁椀・珠洲鉢・渥美壺である。
※参考文献 青森県教育委員会『独狐遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書)1986年3月

図84 独狐遺跡地形図及び調査区(網部分)


図85 独狐遺跡遺構配置図(第1次調査分)


図86 独狐遺跡遺構配置図(第2次調査分)


図87 独狐遺跡掘立柱建物跡平面図


図88 独狐遺跡出土遺物(土師器・須恵器)


図89 独狐遺跡出土遺物


図90 独狐遺跡出土陶磁器


図91 独狐遺跡出土古銭


独狐遺跡掘立柱建物跡柱穴群


独狐遺跡堀跡全景


独狐遺跡第203号竪穴遺構全景


独狐遺跡第109号井戸(右)、第110号井戸(左)全景