(国指定史跡 津軽氏城跡)昭和60年11月15日指定
(1)所在地 弘前市大字堀越字川合
(2)立地・環境
弘前市街地の南東一級河川平川に、西方から流れ込む大和沢川と前川の間に位置し、河川氾濫堆積物によって形成された扇状地に近い沖積地に立地している。標高は約40m、国道7号線によって二の丸・三の丸・馬場跡が分断され、旧国道の堀越集落が突き当たる熊野宮鳥居が城跡への入り口となっている。
(3)地形概観 資料編1-2「第3章弘前地域の中世城館」参照
(4)発見の経緯
発掘調査は、国道7号のバイパス建設に伴う昭和51年(1976)から52年(1976)にかけてと、前川復旧工事のため昭和54年(1979)にも行われている。県内で行われた初めての中世城館調査であったが、バイパス路線内という限定された調査であったことから、堀越城の全体像を把握できる所まで至らなかった。
(5)歴史環境 資料編1-2「第3章弘前地域の中世城館」参照
(6)発掘状況
発掘調査は、二の丸を中心に実施されたが、平場からは明確な遺構が検出できず、かえって堀跡に近い部分から木製品をはじめとする多量の遺物が出土している。特に、堀跡の修復にかかわる遺構は検出遺構の中でも圧巻であった。
(7)検出遺構
二の丸北側からは、現存する水堀の内側に三本の薬研状の空堀ないしは溝跡を検出したが、平面的にどの様な構造になるのか明らかにすることはできなかった。
柱穴の並びによる建物は、二の丸においては検出されず、馬場跡において柵列らしき並びを発見できた程度であり、竪穴遺構は二の丸中央部で4軒ほど確認したが、柱穴や出土遺物による構造的把握はできなかった。
二の丸南側では、土留め遺構が数多く検出され、堀跡を3期にわたって改築・拡張していることが分かった。
堀越城跡発掘状況
土留の遺構検出状況
漆器出土状況
土留の遺構検出状況
柾組検出状況
木製品出土状況
出土柾組図
(8)出土遺物
出土遺物としては、陶磁器(カラー図14・15・16)・鉄製品・銅製品・木製品などがある。特に、木製品の出土は多量であり実測図とともに説明する。
カラー図14 堀越城跡出土陶磁器(1)(表裏)
1~3青磁 4白磁 5~10染付
カラー図15 堀越城跡出土陶磁器(2)(表裏)
1不明陶器 2・3肥前 4志野 5美濃瀬戸灰釉
カラー図16 堀越城跡出土陶磁器(3)(表裏)
1~3美濃瀬戸灰釉 4~6越前
〔陶磁器〕 中国製青磁・白磁・染付のほか、国産陶磁器としては、美濃瀬戸灰釉・鉄釉・長石釉(志野)、越前、珠洲などとともに17世紀代の肥前染付が見られる。年代としては16世紀のものが主体となるが、一部13世紀代の資料も認められ、堀越城成立の糸口となる。
〔鉄製品〕 釘、小刀、火箸、責金具などがある。
〔銅製品〕 笄、かんざし、鉄砲玉などがある。
〔木製品〕 最も多く出土した製品は箸であり、建築部材の柾も多く見られた。漆器の類としては椀(図122-1)、膳(図122-5・6)のほか、文様の見られる製品(図122-2)などがあり、一部には墨書の認められる例(図122-3・4)もある。曲物は、側板部分(図122-7)と底板部分(図122-10、図123-14・15、図124-1)が分離して出土する傾向があり、完形の例はない。折敷は、小型の例(図122-14)から大型の例(図124-2・3・9・10)などがあり、桜の皮で綴じることから分かる。取手は、両端を楔上にえぐり接合するもので(図123-8・9)、一般には横の位置で使用する。箆はいろいろな形状があり、握りの部分より開いた形(図123-6)、先を小刀状に削る例(図123-7)、団扇状の例(図123-16)、握り部分を長くする例(図124-6)などがある。台形状の行火(あんか)と推定される部分(図122-15、図123-11、図124-4)がある。下駄は、連歯下駄(図123-1・2・3)と差歯下駄(図123-4・5)があり、竹垣松文様の見られる例(図123-1)は珍しい。槌(図123-12)、きぬた(図123-13)、鍬(図124-7・8)などの農工具、棒状製品(図122-11)、陽物(図122-12)、塔婆状製品(図122-9・13)、部材(図122-16、図123-10)、性格不明製品(図124-5)、竹を巻いたような製品(図122-8)などがある。
図122 堀越城跡出土木製品(1)
図123 堀越城跡出土木製品(2)
図124 堀越城跡出土木製品(3)
〔文献記載〕 城館編参照
※参考文献
1) 堀越城跡発掘調査委員会・弘前市・弘前市教育委員会『昭和51年度 史跡堀越城跡発掘調査 中間報告概報書…国道7号線弘前バイパス建設工事路線内埋蔵文化財緊急発掘調査…』 1977年3月
2) 堀越城跡発掘調査委員会・弘前市・弘前市教育委員会『堀越城跡…国道7号線バイパス遺跡発掘調査報告書』 1978年
3) 堀越城跡発掘調査委員会・弘前市・弘前市教育委員会『堀越城跡…前川災害復旧関連工事発掘調査報告書』 1979年3月
4) 今井二三夫「堀越城の発掘」(歴史手帖第5巻4号) 1977年
5) 今井二三夫「堀越城の調査」(中世の考古学-遺跡発掘の新資料-) 1983年