宮舘板碑群は弘前市大字宮舘に存在し板碑の存在でつとに著名であるが、その場所から福田友之によって珠洲の甕破片が表採されている(1986年)。年代は小さな破片のため明確ではないものの13~15世紀の間に入ると推定されている。
悪戸焼の表採資料及び発掘資料を紹介している事例として、半澤紀の「歴史と文化誌津軽平野第4号」(1994年)がある。これまで、表採品及び伝世品を展示したり(弘前市立博物館 1985年)、写真によって全国誌に紹介したりすること(成田紀夫 1981年)はあっても、実測図を入れて考古学的に報告したのは半澤が初めてである。内容としては、悪戸焼の器種を陶器と磁器別に分類し、窯道具の紹介もある。さらに県内における消費動向として十三湊、久米川、石上神社、飯詰城、野脇、水木館の各遺跡資料と伝世資料を提示している。
市史編纂事務局で表採した資料として国吉館から中国製染付牡丹唐草文皿の破片(16世紀)がある。
カラー図23 弘前城跡出土陶磁器(1)(表裏) 1~8肥前
カラー図24 弘前城跡出土陶磁器(2)(表裏) 1~5肥前