二 各城館の位置

513 ~ 518 / 681ページ
 しかしながら、これら東目屋の中世城館跡については、沼舘愛三『津軽諸城の研究』・青森県教育委員会『青森県の中世城館』・弘前市教育委員会『弘前の文化財-古城郭』などで紹介されているものの、比定地が異なったり、城館跡とされていなかったりで、所在地自体が明確でない状況にある。そこで、最初に、以上三つの研究で紹介された城館跡について、「弘前市文化財位置図」(弘前市教育委員会)などを参考にしながら確認調査を行った。
①高野館跡
 すべての研究で紹介されている。現地に行ってみると、東目屋盆地の入口、割山から南に伸びる尾根の先端を、空堀で掘り切った遺構が存在していた。しかし、この堀切は、旧目屋街道が東目屋盆地に入る切通しでもあり、ほかには明白に人の手の加わった遺構は見出せなかった。したがって、この遺構が城館跡であるのか、街道の要所を押さえる関所のような施設なのかについては、結論が出せなかった。
②坂本館跡(坂本古館・新館跡)
 すべての研究が紹介し、現地には明瞭な遺構が存在している。ただし城館の名称については「坂本館」以外に、「目屋川古館・新館」など、まちまちである。
③古屋敷
 『青森県の中世城館』だけが紹介している。ほぼ方形をした屋敷型居館であるが、これといった防御施設はなく、城郭というより屋敷跡と理解したほうがよさそうである。
④国吉館跡
 すべての研究が紹介し、現地には明瞭な遺構が存在している。また、館跡背後の海抜一五〇メートルの丘陵上部にも城館遺構らしきものがあり、「山伏館」と呼ばれている。この「山伏館」が中世の城館跡かどうかは確認できなかったが、土地所有者によると、整地の際に陶磁器の破片が出土したということであり、国吉館と関連を持つなんらかの施設があったことは間違いない。
⑤黒土館跡
 この城館については、どの研究でも触れられているが、『津軽諸城の研究』『青森県の中世城館』の示す位置には、はっきりした遺構は確認できず、『弘前の文化財』「弘前市文化財位置図」の示す位置に城館遺構が存在することを確かめた。
⑥桜庭館跡
 『青森県の中世城館』『弘前の文化財』や「弘前市文化財位置図」が紹介しているが、『青森県の中世城館』は黒土館跡を「桜庭館跡」として紹介し(しかも位置が間違っていた)、また『弘前の文化財』「弘前市文化財位置図」が示す位置には、はっきりした遺構を確認できなかった。
⑦吉川館跡
 『弘前の文化財』にのみ紹介されている。現地踏査で空堀跡が存在することを確認した。台地の先端を空堀で区画した単郭の城館である。
⑧平山館跡・⑨中畑館跡
 『弘前の文化財』「弘前市文化財位置図」が紹介しているが、遺構は確認できなかった。私たちの調査もまだ不十分であり、今後の調査課題としたい。
⑩番館跡
 『青森県の中世城館』『弘前の文化財』「弘前市文化財位置図」が紹介している。『青森県の中世城館』は「番館集落の東端部、岩木川に張り出す舌状台地を空堀で切断したもの」と述べているが、現地を踏査したところ、空堀らしきものはあるが、台地の先端を切って曲輪を設ける形にはなっていなかった。ただ、地名から城館跡の存在は十分想定されるので、今後の調査課題である。
 以上、東目屋地区には一〇か所の中世城館跡が紹介されているが、現地調査によって遺構を確認できたのは、坂本館、古屋敷、国吉館、黒土館、吉川館の五か所だけであった。また遺構はあるが城館としてとらえてよいのか疑問なものが高野館・番館である。東目屋地区の中世城館の全体については、今後の研究課題である。

図35 東目屋地区における中世城館の分布


図36 国吉館跡・坂本館跡位置図


国吉館跡・坂本館跡周辺の航空写真(昭和20年代撮影)