目次
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新編弘前市史 資料編1(古代・中世編)
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第3章 弘前地域の中世城館
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第五節 国吉館跡・坂本館跡と東目屋の城館群
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三 国吉館跡
(1)立地と遺構の現状
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国吉館跡は、弘前市国吉字坂本、国吉集落の北に隣接する小丘上にある。広さは、東西約一〇〇メートル、南北約六〇メートル。集落に接する東・南・西の三面は比高差一〇メートルほどの急崖をなし、北側は自然の沢と空堀をもって北方の丘陵(海抜約一五〇メートル)から区画された「単郭」(曲輪が一つだけ)の城館である。丘の上面は平坦で、現在は大部分が畑となっているほか、一部は宅地化し、東端には稲荷神社がある。かつては東・南・西の三方に堀跡があったと言われるが、宅地化・耕地化によって不明となっている。『津軽一統志』「関家文書」は、館主を関惣右衛門としているが、彼が「十二人屋形城衆」の中の「城代」とされることから、国吉館が大浦城周辺の中小城館の中でも重要な位置を占めていたことがうかがえよう。国吉が東目屋盆地の中心集落であること、館が国吉集落に隣接して構えられ、平時の居館にもなる立地であることから見て、東目屋盆地の盟主クラスの領主の居館と想定される。
国吉館跡と東目屋盆地
旧目屋街道の高野館跡わきから見た東目屋盆地。右手丘陵の前方が国吉館跡、後方が黒土館跡。
国吉館跡と国吉集落
国吉館跡の遠景