一で述べたように、現在、乳井茶臼館跡はその大部分がリンゴ園となり、丘陵全体に段々畑が造成されて、城館に伴う腰曲輪との区別が非常に難しい。そこで縄張り復元に当たっては、表面観察に加えて以下の資料、特に(1)の分限図を最大限に活用して、まず明治時代半ばのリンゴ園が広がっていない時期の状況を把握することに努めた。もちろんこの方法でも、それ以前の開墾で造成された段々畑を区別することは不可能で、以下に示す縄張り復元図は、あくまで近代初めの遺構の状況に基づく仮説であることを、断っておきたい。
(1)分限図(明治二十三年測量)
ア、大字乳井字茶臼館
イ、大字乳井字古堂
ウ、大字乳井字岩ノ上
エ、大字乳井字外ノ沢
図46 乳井茶臼館跡と周辺の分限図
(2)縄張り図及び古絵図
ア、中村良之進作成の縄張り図(『青森県南津軽郡石川町郷土史』大正十四年)
イ、沼舘愛三作成の見取図(『津軽諸城の研究』昭和五十二年)
(3)航空写真(昭和四十年代のもの、弘前市役所蔵)
(4)その他 地図・地元住民からの聞き取り