はじめに

553 ~ 554 / 681ページ
 津軽地方の古代史・中世史は、史料が少なく、地域の歴史を解明することが極めて困難である。これを多少なりとも補ってくれるのが、金石造遺物に刻まれた文字、いわゆる「金石文」である。
 金石文には、梵鐘・鰐口・仏具・仏像・刀剣・銅鏡・古銭・擬宝珠などの金属製品に刻まれた文字や五輪塔・宝篋印塔・無縫塔・笠塔婆・磨崖仏・板碑などに刻まれたものがある。
 もっとも、城下町弘前が営まれたのは近世初頭のことであり、弘前城築城以前の金石資料の数は少ない。たとえ残されていたとしても、城下町形成後に他から移されたものがほとんどである。数が最も多い板碑の場合、弘前の市街地に古くからあったと推定されるものは、和徳町周辺や城東地区に残る数基であり、他は後年の移入である。
 弘前市内で中世の板碑・五輪塔などを多く残している地域は、乳井及びその周辺、国吉、宮舘・中別所などである。隣接する町村では、大鰐町宿川原・三ッ目内・八幡舘、藤崎町藤崎、平賀町岩館などが挙げられる。
 これらの地域には、中世の寺院や城館があり、関係した豪族もある程度推測できる。乳井の板碑における福王寺毘沙門堂、国吉における工藤氏の存在、中別所から高杉方面に残存する板碑は「高椙(たかすぎ)郷主」源一族のものと推定される。
 弘前に根ざした古代の金石文はない。他からの移入品も刀剣が残る程度である。また、中世に入ってからの金石資料は延べ数は多いが、その大部分は板碑であり、それ以外の金石資料は種類・数量ともに少ない。
 本章では、原則として弘前市内の金石造遺物のうち、文字(梵字を含む)を刻むものを掲載することとし、年代的には天正時代を下限とした。
 ただし、板碑に関しては総合的に考察する必要から、津軽地方で確認できたものすべてを、表に記載して紹介することにした。