宝暦十二年の自序を有する。自序によれば、素行が朱子学を批判したかどで赤穂に流謫され、その地で童子に託して「聖教」の旨を明らかにせんとしたことにならって著したという。思うに、蟄居謹慎の身の上にあった乳井が、常日頃「吾が夫子」と称して敬愛していた山鹿素行の境遇に自らのそれを重ねて綴ったものと言える。すなわち「夫子に倣ひ諸虫に託し、その論を挙げ夫子の門に学ぶ者をして朱子の死物の行ひを信ずる者を討ち、其是非を暁さしめん」との動機から著された。生半可に老子や荘子の哲学を聞きかじって、禍が降り懸かってくるのを恐れて、何もしないに越したことはないと決め込んで、ひたすら隠れて生きることをモットーにしているゲジゲジに、カタツムリがこの世にはだれしも「天」から命じられた「御用」のあることを説諭するといったユーモラスな話しも展開されている。乳井の社会観・人生観・学問観が虫に仮託して面白おかしく語られており、興味深い作品となっている。