ここではそれらによって、町人の住居のあらましを述べてみたい。
○石場家住宅 亀甲町--重要文化財
この家は、代々清兵衛を名乗り、藩内の工芸品や荒物を扱う町屋であった。建物の建築年代を示す資料は無いようであるが、その形式手法から見て、江戸時代後半のものとされている。
全体に木柄が太く、大規模な構えを見せている。一九八〇年から半解体修理工事がなされ、当時の姿に復原されている。
図35 石場家住宅平面図
(『重要文化財 石場家住宅保存修理工事報告書』より転載)
図36 石場家住宅立面図
図37 石場家住宅断面図
(『重要文化財 石場家住宅保存修理工事報告書』より転載)
○H家住宅 鍛治町
先々代が明治のはじめ頃、当時のお金三五円で、下町で買って移転したものと伝えられている平入の主屋は、間口(桁行)四間に対して、奥行(梁間)六間半と奥行が深く、屋根はトタン葺である。現在は多少改造されているが、復原平面図に示したように、建物前面に三尺幅の「こみせ」が付き、入口は正面向かって左側にあり、幅一間半の「にわ」が奥まで通り、背後の突き当りには、大きな炉を備えた「だいどころ」があった。床上には、表から板の間の「しごとば」、「じょい」、仏壇・床を備えた「ざしき」と三室が一列に並ぶ「通土間一列型」の間取りであった。正面入口の建具は「にわ」側に釣り上げる大戸(おおど)で、「しごとば」前面は上半分は内に釣り上げ、下半分は柱の溝に沿ってはめ込む蔀戸(「しめと」と呼んでいる)となっていた。
二階は、現在は背後に増築されて部屋ができているが、本来は「にわ」上の表から二間分だけで、ここに桶職人の弟子が住んでいたという。
図38 H家住宅復原平面図
図39 H家住宅梁行断面図
図40 H家住宅1階・2階平面図
○T家住宅 新鍛冶町
現在、平入主屋の向かって左手に座敷部分を増築しているが、復原平面図に示したように当初は間口三間の一間分を奥まで通じる「通土間」として、残りの二間分に「みせ」「じょうい」「だいどころ」の三室を並べる「通土間一列型」の典型的な町屋平面であった。痕跡からは確認できなかったが、聞き取りによれば「みせ」部分は板敷きであったようで、表の建具は「しとめ」であったと考えられる。なお二階は表側「みせ」上が本来のもので、「じょい」上の二階は増築されたものである。
図41 T家住宅復原平面図
図42 T家住宅梁行断面図
図43 T家住宅1階・2階平面図
○K家住宅 新寺町
間口(桁行)六間、奥行(梁行)五間で新寺町の通りに対して平入の主屋があり、背後に続けて中二階の上に高い二階座敷のある棟が連なっている。今では改造・増築されているが当初の平面は復原図に示したように、二間幅の通土間を裏まで通し、表に板敷きの低い床の「みせ」を配し、背後に二列に部屋を並べる弘前に多い通土間二列型平面とみてよいだろう。前面建具として通土間正面の入口部分に内側に釣り上げるくぐり戸付きの「おおど」、他は二枚の戸を柱に切った溝に沿って上に上げて上部の戸袋に収納する「しとみ」が今でも使える形でよく保存されている。通土間部分には、かつて使用されていた電話室や、「かまど」もそのまま残され、一部に地下室も設けられている。土間と床上居室鏡には七寸角の柱が二本使われるなど、全般的に太めの柱が使用されており、堅牢な構造になっている。
図44 K家住宅復原平面図
図45 K家住宅梁行断面図
図46 K家住宅1階・2階平面図
○S家住宅 浜の町西二丁目
駒越の魚屋であった本家から分家した初代が、一九一四(大正三)年にこの場所で創業したというS家の建物は、当時既に五〇年ほどたっていたという家を買い取ったもので、現在の主屋のある間口の敷地のみであった。主屋すぐ裏の文庫蔵を改造して酒造蔵にし、その後両側の敷地を次々に買い取って居住部分を増築、さらに貯蔵蔵や麹室、精米所、物置などを設けて現在のようなかなり広大な屋敷ができあがった。
弘前市内でもそう多くは残っていない妻入の主屋は、現在は増築され、みせ部分が大きく改造されているが、復原図に示したように、本来は間口五間で片側に通り土間をとり、街道に面して比較的大きな「みせ」、その背後に二列に部屋を配するという、弘前では典型的なものであった。
図47 S家住宅復原平面図
図48 S家住宅梁行断面図
図49 S家住宅1階・2階平面図
○W家住宅 亀甲町
W家住宅は平成十年(一九九八)五月に、新編弘前市史編纂事業の一環として調査したものである。
この住宅は大分改造はされているが、当初からの場所に在って、そのままの生活を包んできたものである。
「こみせ」かともみられる「土縁」を前面に大きく取っている。現在は「玄関」から「茶の間」へ続くが、玄関脇の「板の間」から「次の間」にあがり「座敷」が取られている。一本の線で来客などが「茶の間」や「だいどころ」などを通らずに「座敷」へと案内されるのであり、このような小規模な住宅にあっても、そのことはきちんと守られていたようである。
二階は不明な点があるが当初から在ったもののようで、下男などの部屋でも取られていたもののようである。
図50 W家住宅平面図