建立年代についてはさまざまな伝承があるが、慶長年間(一五九六~一六一五)後半のものと見られる。正面九間側面八間、入母屋造茅葺で、正面玄関は式台構えである。
内部は正面一間を土間とし、一間幅の広縁を取り、外陣と内陣とに分けられている。内陣の来迎柱には組物を置き、その前面に須弥壇を構えている。
近世初頭における禅宗寺院の大規模な本堂建築であり、津軽地方における曹洞宗本堂の典型として、価値の高い遺構である。
図6 革秀寺本堂平面図
(『県重宝 革秀寺本堂保存修理工事報告書』より転載)
図7 革秀寺本堂立面図
(『県重宝 革秀寺本堂保存修理工事報告書』より転載)
(二)津軽為信霊屋--重要文化財
慶長十三~十九年(一六〇八~一四)に津軽二代信枚が建立したとする記録もあり、原形は江戸時代前期のものであろう。
正面一間側面二間で、入母屋造の妻入とし、正面に軒唐破風を付けた柿葺の屋根である。内部には板卒塔婆を巡らし、宝篋印塔が安置されている。彫刻や天井絵などの漆塗り、極彩色の華麗な塗装の多くが、文化年間(一八〇四~一八)の大修理によるものであることも判明しており、当初はかなり質素なものであったと見られる。
図8 津軽為信霊屋平面図・立面図
(『重要文化財 津軽為信霊屋修理工事報告書』より転載)