●本行寺 護国堂 新寺町--県重宝

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 この堂の創立沿革についての詳細は不明であるが、寺蔵の記録では、七代信寧の誕生の際になされた安産祈願の霊験が顕著であったために、生母圓受院殿の帰依を受けて、寄進されたものであるということである。元文二年(一七三七)ころのことである。
 正面三間側面三間となり、宝形造の起屋根で、一間の向拝を付けており、銅板葺であるが、本来は茅葺の屋根であった。外部は丹が塗られており、正面三間と側面の第二間までは、外側に両折桟唐戸を吊り、内側に明障子を引き違いに建てている。両側面の第三間は板戸の片引き込みであり、背面は三間ともに横嵌板壁である。
 床は板敷きであり、天井は内陣が格天井で外陣は鏡天井である。内部の柱や組物、蟇股などには極彩色文様が描かれていた痕跡が明瞭であり、華麗な荘厳がなされていた仏堂であったことをうかがわせるものである。

図9 本行寺護国堂平面図