●最勝院 五重塔 銅屋町--重要文化財

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 大円寺六世京海が、津軽統一の過程で戦死した敵味方の者を供養するために、津軽三代信義の帰依を受けて明暦二年(一六五六)に着工したが、工事は一時中止され、四代信政の寛文七年(一六六七)に竣工したものである。
 三間五層の塔で、総高は三一・二メートルである。屋根は宝形造銅板葺で、軒は二軒繁垂木とし、組物は和様の三手先である。中備は初層が蟇股、二層が蓑束、三、四、五層は間斗束として変化を付け、窓についても、初層正面を連子窓として他の面では円形の板連子窓とし、二、三層には格狭間型の窓、四、五層では矩形の板連子窓としている。心柱は角柱で初層の天井裏までで止められており、初層には大日如来が安置されている。非常に安定感に富んだ塔である。
 平成三年(一九九一)の台風一九号によって甚大な被害を受けたために、本格的な解体修理工事をすることとなり、「寛文四年」と記された貫が初層から発見されて、これまでの歴史が明らかにされたものである。

図11 最勝院五重塔平面図
(『重要文化財 最勝院五重塔保存修理工事報告書』より転載)


図12 最勝院五重塔立面図・断面図
(『重要文化財 最勝院五重塔保存修理工事報告書』より転載)