●蘭庭院 栄螺堂 西茂森二丁目--市指定文化財

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 東長町の豪商であった中田屋嘉兵衛(賀兵衛)が、天保の飢饉での餓死者の供養のために、天保十年(一八三九)に海蔵寺境内に建立したもので、現在は蘭庭院の所有となっている。
 土台に八角柱を内転びに立て、地覆長押、内法貫、内法長押と組んで実肘木を置いて、一軒の扇垂木を受けている。屋根は八角宝形造であるが、下屋を一辺ごとに段差を付けているのは、柱を内転びにして八角錘形にしているのと同様に、栄螺の形を意識したものであろう。内部では一重の斜路が廻って上層に達し、上層からは直階段で下りるようになっている。
 当時は、このような栄螺堂は各地に建てられたようであるが、「見せ物」の要素が強く現れていて、「面白い」建築として好まれた傾向があったのであろう。

図16 蘭庭院栄螺堂立面図・平面図
(弘前市教育委員会蔵原図より)