津軽四代信政が神式で埋葬されたところであり、五代信寿により、吉川神道の思想に基づいて配置されたもので、珍しく貴重な遺構である。
本殿は、正面三間側面三間で入母屋造柿葺の屋根の正面に千鳥破風を載せており、一段低く造られた一間の向拝には、向唐破風を付けている。正徳元年(一七一一)から二年にかけて造営されたもののようである。
図31 高照神社本殿・拝殿・幣殿平面図
(二)中門--県重宝
一間一戸の平唐門で屋根は柿葺であり、なかなかいい形の中門である。幣殿から中門まで、石敷きの床に連子窓を連ねた長い廊下が付けられているのは珍しい。
(三)随神門--県重宝
県内では珍しい三間一戸の八脚門で、切妻造の鉄板葺である。拝殿とほぼ同時期の建立と見られ、構造手法も同一であり、均衡もよく保たれている。
(四)拝殿および幣殿--県重宝
現在はつながって一体となっている建築であるが、その残されている棟札には「幣殿」のことはいっさい無くて拝殿のことだけであり、その構造手法もやや異なるかもしれないと見ている。拝殿の建立もやや遅れて、正徳五年(一七一五)となっている。
拝殿は正面七間側面三間となり、入母屋造の柿葺で、正面に千鳥破風を載せて極彩色で飾っている。幣殿は、拝殿の後方に突きだした形で、正面一間側面二間で切妻造の屋根が載せられている。