文書名
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津輕徧覧日記 一~十三
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文書名(カナ)
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ツガル ヘンラン ニッキ イチ カラ ジュウサン
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文書名(ローマ字)
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Tsugaru henran nikki ichi kara jusan
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別名
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別名(カナ)
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別名(ローマ字)
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文書名(欧文)
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文書名に関する注記
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差出・作成者
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木立要左衛門藤守貞編
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差出・作成者(カナ)
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キダチ ヨウザエモン フジ モリサダ
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差出・作成者(ローマ字)
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Kidachi Yozaemon Huji Morisada
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宛所
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宛所(カナ)
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宛所(ローマ字)
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書写者
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書写者(カナ)
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書写者(ローマ字)
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作成年
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寛政5年(1793)
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作成年終
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数量
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13冊
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形状
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寸法
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寸法(縦)
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24cm
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寸法(横)
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16.5cm
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材質
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形態に関する注記
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貼紙2(1)
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保存状況
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縮尺
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その他の注記
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写
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言語
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日本語
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ISBN
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ISSN
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主題
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主題(カナ)
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主題(ローマ字)
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関連する地域・場所
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関連する地域・場所(カナ)
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関連する地域・場所(ローマ字)
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関連する人物・団体
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関連する人物・団体(カナ)
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関連する人物・団体(ローマ字)
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内容年
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1567~1607
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内容年終
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内容
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為信公御代日記、従永禄十年到慶長十二年、題簽は編覧、欠ノ巻八は弘前図書館所蔵。編者の要左衛門(1726~1801)は、八条流馬術の師範で大変な蔵書家でもあった。
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内容(カナ)
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タメノブコウ オンダイ ニッキ エイロク ジュウネン ヨリ ケイチョウ ジュウニネン ニ イタル ダイセン ワ ヘンラン ケツ ノ マキ ハチ ワ ヒロサキ トショカン ショゾウ ヘンジャ ノ ヨウザエモン ワ ハチジョウリュウ バジュツ ノ シハン デ タイヘン ナ ゾウショカ デモ アッタ
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内容(ローマ字)
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Tamenobuko ondai nikki eiroku junen yori keichojuninen ni itaru daisen wa henran ketsu no maki hachi wa Hirosaki tosyokan syozo henja no Yozaemon wa hachijoryu bajutsu no shihan de taihen na zosyoka demo atta
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解題・説明
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「津軽徧覧日記(つがるへんらんにっき)」は、寛政4年(1792)3月に編集が始められ、翌年2月に成稿した、為信から信明に至る津軽家8代の事蹟を編年体で記載した史書である。内題には「津軽徧覧日記」とあるが、題箋には「津軽編覧日記」とある。 本書は以下の13冊からなる。 一 為信公御代日記 (記載期間:永禄10年~慶長12年、1567~1607) 二 信牧(枚)公御代日記 (記載期間:慶長12年~寛永8年、1607~1632) 信義公御代日記 (記載期間:寛永8年~明暦2年、1632~1656) 三 信政公御代日記 上 (記載期間:明暦2年~元禄6年、1656~1694) 四 信政公御代日記 下 (記載期間:元禄7年~宝永7年、1695~1710) 五 信寿公御代日記 (記載期間:宝永7年~享保16年、1710~1731) 六 信著公御代日記 (記載期間:享保16年~延享元年、1731~1744) 七 信寧公御代日記 元 (記載期間:延享元年~宝暦7年、1744~1757) 八 信寧公御代日記 享 (記載期間:宝暦8年~明和8年、1758~1771) 九 信寧公御代日記 利 (記載期間:安永元年~天明2年、1772~1782) 十 信寧公御代日記 貞 (記載期間:天明3年~天明4年、1783~1784) 十一 信明公御代日記 上 (記載期間:天明4年~天明7年、1784~1787) 十二 信明公御代日記 中 (記載期間:天明4年~寛政元年、1787~1789) 十三 信明公御代日記 下 (記載期間:寛政元年~寛政3年、1789~1791) 凡例によればこのほか「御当家御先祖御由緒等の事は別に一冊となし」「又国初の由来名所名所古跡等の故実珍説を集めて一冊となし」とあって、これが「本藩濫觴実記」「本藩濫觴実記附録」(弘前市立弘前図書館蔵)として現在伝わっているものとみられている。 本書の編者木立要左衛門守貞(1726~1801)は、藩の御馬役・馬術師範の家に生まれ、その道に秀でる一方で、藩内では蔵書家としても知られ、天明6年(1786)11月の蔵書数が1万1500冊余に上ったという。本書の序に「余少壮の頃より好みて旧記古書を集め,或は日記の業を成す、然して国の記録を編んと欲する事、年久し」とあり、収集した記録や自分の日記を用い、自らの手で藩史を編むという明確な意志が早くからあったようである。 弘前藩の御日記方が編纂した「年代記」寛政5年(1793)2月27日条には木立が「本藩濫觴実記」「津軽徧覧日記」の調べが整い提出された旨が記されており、「弘前藩庁日記(国日記)」同年3月3日条には、木立や日記物書の成田寅之助・中村鉄太郎、御留守居組谷川兵司・御中小姓三浦此吉らが「御国旧記」の編集完了につき褒賞を受けた記事がある。また序文に「終に今茲に命をうけて、此篇をあつめる事とはなりぬ」ともみえ、これらから「御国旧記」、すなわち「本藩濫觴実記」「津軽徧覧日記」の編集が、実は藩命によって行われた藩史編纂事業であったことが明らかである。 本書は内容詳細にわたり、特に編者が同時代を生きた7代藩主津軽信寧、8代藩主津軽信明の代の記事においてそれが顕著で、宝暦の藩政改革、天明大飢饉への弘前藩の対応とそれを契機とする藩政の立て直しへの試み、また寛政元年(1789)の寛政蝦夷蜂起(かんせいえぞほうき)への対応などについて大きく紙面が割かれている。ただ、編者自身が本書では藩史の大要を掴むことが困難だとみなしたようで、藩に本書を提出した翌々日、差し上げた「日記下書」の内容が「混雑」していて原本にしがたいので、書き写しを命じられるよう願い出て許可されている(「弘前藩庁日記(国日記)」)。「津軽徧覧日記」はこの「日記下書」にあたるもので、これをもとに編集作業を行い、よりコンパクトな史書に整えようとしたと考えられる。なお弘前市立弘前図書館が所蔵する「津軽古今通観録」(「本藩通観録」)は本書の抄録という内容をもつものであり、より整理された形の官撰史書として編まれたものと考えられる。 弘前藩の「寛政の改革」においては、武芸・学問の振興が中心的施策の一つであった。のちに編まれた「一木萩」巻第七(弘前市立弘前図書館蔵)に、文教政策の責任者である津軽永孚緝熙(つがるえいふまさひろ)が木立の藩史編纂事業に関与していたという挿話が見えることからも、「徧覧日記」などの藩史編纂が藩政改革における文教政策の一施策として企てられた可能性がある。(千葉一大) 【参考文献】 弘前市立弘前図書館編集・発行『弘前図書館蔵郷土史文献解題』(1970年)
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解題・説明(英語)
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来歴
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来歴(英語)
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所蔵機関
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弘前図書館
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原資料の所在地
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弘前図書館
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資料番号
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通史2-117
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管理記号
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YK215-93-1~7・10~13/KK215-ツガ
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カテゴリ区分
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文書・記録
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資料種別
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古文書
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資料分類(大分類)
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八木橋文庫
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資料分類(中分類)
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資料分類(小分類)
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文化財情報
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manifest.jsonへのURL
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参照データ
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関連ページURL
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関連画像URL
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自治体史掲載
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津軽偏覧日記と封内事実秘苑(『新編弘前市史』通史編2(近世1) 第3章第四節)
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出版物・関連資料
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翻訳元の言語
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権利関係・利用条件
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原資料の利用条件
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権利関係・利用条件に関する注記
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緯度・経度・高度に関する注記
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DOI
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既刊目録名
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デジタル化の経緯に関する注記
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