文書名
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御刑罰御定 安永4年(安永律)
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文書名(カナ)
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ゴケイバツ オサダメ アンエイ ヨネン アンエイリツ
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文書名(ローマ字)
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Gokeibatsu osadame anei yonen an'eiritsu
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別名
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刑律
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別名(カナ)
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ケイリツ
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別名(ローマ字)
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Keiritsu
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文書名(欧文)
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文書名に関する注記
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差出・作成者
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差出・作成者(カナ)
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差出・作成者(ローマ字)
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宛所
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宛所(カナ)
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宛所(ローマ字)
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書写者
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書写者(カナ)
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書写者(ローマ字)
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作成年
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安永4年(1775)
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作成年終
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数量
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1冊(24丁)
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形状
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寸法
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寸法(縦)
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31.5cm
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寸法(横)
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23cm
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材質
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形態に関する注記
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保存状況
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縮尺
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その他の注記
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写
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言語
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日本語
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ISBN
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ISSN
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主題
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主題(カナ)
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主題(ローマ字)
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関連する地域・場所
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関連する地域・場所(カナ)
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関連する地域・場所(ローマ字)
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関連する人物・団体
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関連する人物・団体(カナ)
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関連する人物・団体(ローマ字)
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内容年
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安永4年
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内容年終
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内容
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安永律
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内容(カナ)
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アンエイリツ
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内容(ローマ字)
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Aneiritsu
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解題・説明
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「御刑罰御定」は通常「安永律」といい、江戸時代、安永年間(1772~1781)に編纂された弘前藩の刑法典であり、同藩初のまとまった刑罰規定である。 日本法制史研究において、江戸時代の法系は、大きく「幕府法(ばくふほう)」と「藩法(はんぽう)」とに分けられている。幕府法は江戸幕府を法源(ほうげん)とする法であり、狭義においては幕府直轄地において施行される法であるが、寛永(かんえい)12年(1635)に改訂された「武家諸法度(ぶけしょはっと)」(寛永令(かんえいれい))において「万事江戸の法度のごとく、国々所々に於てこれを遵行(じゅんぎょう)すべき事」と定められ、以降の改訂においてもこれが踏襲されているように、大名に対し幕府法を遵守・施行し、それに依拠して法的処理を行うことが求められていた。したがって、大名領においても、幕府が定めた全国的支配権にかかわる幕府法が施行されていた。このような大名領内で施行された幕府法を「公儀御法度(こうぎごはっと)」「公儀御触書(こうぎおふれがき)」などと称する。一方、大名はその領内支配について、研究上「自分仕置権(じぶんしおきけん)」と呼ばれる自律性を幕府から大幅に認められていた。そのため、各大名は、自らの所領支配に必要な法として、領内にのみ適用される、研究上「藩法」と呼ばれる法を制定・施行した。 藩法は、藩政の要綱や家中の規律を定めた基本法と、行政や司法にかかわる施行法とに分けることが可能である。弘前藩の場合、前者として寛文(かんぶん)元年(1661)に家中に対する規範として制定された「諸士法度(しょしはっと)」(11箇条)、翌年に定められた同じく家中向けの「家訓条々(かくんじょうじょう)」(17箇条)があり、また後者の代表的なものとしては、延宝(えんぽう)9年(1681)制定の「農民法度(のうみんはっと)」(65または66箇条)・「町人法度(ちょうにんはっと)」(79箇条)・「寺社法度(じしゃはっと)」がその代表的なものである。本史料のような刑法も施行法に含まれる。 18世紀中葉以降、将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)の命によって、幕府が刑法典「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」を制定(寛保(かんぽう)2年、1742)したことに刺激を受けた諸藩では、刑法典の編纂が盛んに行われた。弘前藩もその例外ではない。 弘前藩政の初期段階から中期にかけては、刑事事件を裁くための法典がなく、事件の都度に個別に出された法令や過去の判例、さらには条理に則る形で裁判、量刑がなされてきた。「弘前藩庁日記」(国日記)明和(めいわ)9年(1772)11月12日条によれば、咎人の処罰の基準があいまいだったのを、判例にもとづいて刑罰の種類や量刑の大枠を定めるよう、四奉行(寺社奉行(じしゃぶぎょう)・郡奉行(こおりぶぎょう)・弘前町奉行・勘定奉行(かんじょうぶぎょう))に対して命があり、用人(ようにん)笠原八郎兵衛(かさはらはちろうべえ)がその御用掛とされた。四奉行の勤務は月番制(つきばんせい)で、また役替えもあるため、それ以降量刑基準を確定させる作業がいかなる推移を辿ったのか、史料から明らかにすることは困難である。また、史料を読む限りでは、この作業がすぐ刑法典編纂に結びつくものであるともいえない。あいまいだった判例や量刑を整理して、基準を定めようとしたこの作業が結果的に刑法典編纂のための準備作業となったとはいえる。 刑法典の編纂が実際に始まったのは、安永2年(1773)のことである。本史料の末尾に記載された安永3年11月に家老から用人へ手交された覚書に、藩主津軽信寧(つがるのぶやす)の意思として、裁判はこの刑法典のみによらず、勧善懲悪を斟酌するよう伝達していることから、このころまでにはこの法典の編纂がほぼ完了したものと考えられる。 なお、本史料の画像から明らかなように、表紙には「安永四乙年未八月」との年記がある。「弘前藩庁日記」(国日記)安永4年8月28日条には、一昨年より編纂が進められていた「御刑罰御定」について、幕府筋に対し内容について問い合わせを済ませ、清書も完成したため、この日、書物預に1冊、四奉行に1冊、御用所に1冊配布し、また藩主に呈上する分については右筆が清書し、江戸の御用所用にも美濃紙(みのがみ)を料紙(りょうし)に留書を1冊作成し、この2部は江戸へ送られたとあることから、一応の編纂完了後も内容について幕府筋の意見を敲くなど、さらに内容を整備したうえで清書が出来、関係各所への配布・送付がなされたことが明らかである。 「御刑罰御定」の構成は以下の通りである。 ① 「主殺之者御仕置」 10箇条 ② 「親殺之者御仕置」 8箇条 ③ 「人殺御仕置」 23箇条 ④ 「火附御仕置」 2箇条 ⑤ 「牛馬盗人之御仕置」 6箇条 ⑥ 「盗賊之者御仕置」 16箇条 ⑦ 「博奕致し候者御仕置」 4箇条 ⑧ 「謀書謀判致し候御仕置」 7箇条 ⑨ 「相対死之者御仕置」 3箇条 ⑩ 「喧嘩致口論候者御仕置」 6箇条 ⑪ 「立帰者并御関所脇道忍出入之者御仕置」 5箇条 ⑫ 「盗杣之者御仕置」 3箇条 ⑬ 「盗津出之御仕置」 2箇条 ⑭ 「隠田畑之者御仕置」 1箇条 ⑮ 「公事訴訟強訴御仕置」 2箇条 以上、犯罪の種別は15、98条に及ぶ。 本書の編纂には、享保9年(1725)成立の「享保度法律類寄(きょうほうどほうりつるいよせ)」や、心中(相対死(あいたいじに))に関する規定を取り入れた「公事方御定書」など、幕府法を参照した形跡があるが、全体的に見れば体系的な影響というほどのものではないとされている。冒頭に主殺し・親殺しの規定が置かれている点については、中期藩政の弛緩を引き締め、身分秩序や同一身分内における階層秩序の維持を図るためにこれらの罪が重視されたことの現れとみられている。規定内容は簡略であって、「弘前藩庁日記」(国日記)にみえる制定以前の裁判の事例と比較すると、多数の判例を踏まえて制定されたことが確認できる。 量刑の内容を簡略にまとめると、主殺しが、重罪から鋸引(のこぎりびき)・磔刑(たっけい)・獄門(ごくもん)・重鞭刑(じゅうべんけい)追放、親殺しが磔刑・獄門、その過失罪は重鞭刑追放、一般の殺人は斬罪(ざんざい)・下手人(げしにん)(斬首の上死体を取捨て)、その過失罪は重追放、火付けは未遂でも火刑、従犯は闕所(けっしょ)の上追放とされている。牛馬盗は獄門・斬刑、その軽罪は鞭刑追放、盗賊は強盗殺人が獄門とされ、以下鞭刑追放まで差がある。博奕は鞭刑のうえ中追放、場所を提供したものも同罪となる。謀書謀判(ぼうしょぼうはん)(文書・印章の偽造)は、贋金づくりについては磔刑、他には斬罪・追放が科される。相対死は獄門・斬罪、軽いものは乞食手下(こじきてか)とされる。喧嘩口論は斬罪・所払い・追放・過料の四段階、関所破りが獄門・斬罪・鞭刑重追放・過料、盗伐(とうばつ)は斬罪・鞭刑重追放・追放・過料、隠津出(かくしつだし)は斬罪・鞭刑重追放・追放・過料、隠田畑は罪の軽重によって斬罪から過料までの差異がある。公事訴・強訴は家財を取り上げ鞭刑追放または追放となる。 一方、のちに弘前藩で編まれる刑法典「寛政律(かんせいりつ)」「文化律(ぶんかりつ)」とは異なり、冒頭に総則的な規定が設けられず、個々の犯罪に関する刑罰規定を定めた各則のみで構成されることから、法としての体系的編成が不十分であるとの評価がされている。また、判例を確認すると、規定通りに運用されなかった事例も見受けられるが、これは、先にも述べたように、定められた刑罰規定のみで量刑するのではなく、勧善懲悪となるようにという藩主の意思が示されており、また「時宜御沙汰の事」という文言が法典中に多く見られることから、規定を厳守するのではなく、裁く者の自由裁量の余地が大きく残されていたと考えられる。 なお、本史料の詳細な内容の分析や法の運用、判例との比較検討については、蛯名庸一(えびなよういち)氏・黒瀧十二郎(くろたきじゅうじろう)氏による優れた研究があるので、それらを参照されたい。(千葉一大) 【参考文献】 蛯名庸一「安永期の弘前藩刑法─寛政律との比較─」(『弘前大学國史研究』19・20合併号、1959年) 弘前市史編纂委員会編纂『弘前市史』藩政編(弘前市、1963年) 山上笙介『続つがるの夜明け よみもの津軽藩史』中巻(陸奥新報社、1970年) 橋本久「弘前藩の刑法典 1 安永律(資料)」(『大阪経済法科大学法学論集』6、1982年) 黒瀧十二郎『青森県の文化シリーズ23 弘前藩の犯罪と刑罰』(北方新社、1984年) 黒瀧十二郎『日本近世の法と民衆』(高科書店、1994年) 浅古弘・伊藤秀夫・横田信廣・神保丈夫編『日本法制史』(青林書院、2010年)
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管理記号
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安永律(『新編弘前市史』通史編2(近世1) 第4章第三節)
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