解題・説明
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弘前藩の明治維新期に関する史料については、この時期の「弘前藩庁日記」が存在しないこと、また藩庁自体が度々の機構改正によって混乱しており、史料が多く失われていることが指摘されている。この欠を補うのが、廃藩後に元弘前藩士楠美太素(くすみたいそ)(1818~1882)・楠美晩翠(くすみばんすい)(1837~1887)親子によって、大素の用人(ようにん)・少参事(しょうさんじ)在任中の筆記(「楠美記」)や「家老記」「用人記」「藩日記」「秘書」「軍政記」といった藩政記録、藩士の手記などをもとに編纂された本史料である。 本史料は全66巻からなり、以下の構成からなる。 巻1~巻16 慶応3年(1867)10月から明治元年(1868)12月まで 巻17~巻29 明治2年1月から同年12月まで 巻30~巻34 明治3年1月から同年12月まで 巻35~巻40 明治4年1月から同年11月まで 巻41~巻45 賞典調 巻46~巻48 藩政沿革調 巻49~巻51 官藩出張調 巻52・53 松前戦争留 巻54~巻59 履歴調 巻60・61 戦死履歴 巻62 細川履歴調 巻63・64 招魂祭調 巻65・66 明六調 鈴木元子氏に拠れば、明治7年(1874)11月、政府から旧弘前藩主・弘前藩知事の津軽承昭(つがるつぐあきら)に対して、戊辰(明治元年、1868)以来の事績を編纂して進達するよう命があった。承昭は楠美太素に対し、家記として記述していた戊辰戦争前後の記録を提出するよう要請した。太素は晩翠をはじめ、伊東正良、館山漸之進、毛内常保、鳴海謙六、佐々木多吉、工藤健令とともにその後2年をかけて編集にあたった。編集に係る経費は当初晩翠が負担したが、翌8年2月、承昭から戊辰事績編集慰労として金3000疋(7両2分)が与えられている。同年12月から完成したものから承昭に順次提出されはじめ、太素に慰労金20円が、また各編集人には毎月手当金が与えられるようになった。明治9年(1876)12月29日に「弘前藩記事」は編纂を終え完成している。 一方、明治9年(1876)政府の修史局は旧藩家記の上梓(じょうし)を命じ、これに応じた弘前藩では『弘前藩記録拾遺』を提出した。同書は楠美太素の用人・少参事在任中の筆記から抜粋した「楠美氏明治日記」を改題したものであり、本史料と強い関連性を持つ。 編者の楠美大素は、通称をはじめ悠作といい、嘉永3年(1850)に荘司と改めた。諱を則敏という。文政9年(1826)4月に家督を相続し、天保10年(1839)に目付、同年8月に近習小姓となり、弘化5年(1848)諸手者頭格勘定奉行、さらに嘉永2年(1849)8月には用人に就任した。用人在職中は海岸防禦手配、紙漉、今泉鉄山などの御用を担当し、また安政2年(1855)9月には、藩主順承(ゆきつぐ)の養子に熊本藩主細川斉護(なりもり)の4男長岡寛五郎護明(のちの津軽承昭)が迎えられる際、その御用掛となっている。文久4年(1864)8月には用人在職のまま馬廻組頭格に進んでいる。明治初年の藩政機構の改正により、明治2年(1869)10月に弘前藩少参事、翌3年5月には民事局長となった。同年9月願いにより職を免じられ、閏10月に隠居した。一方楠美晩翠は、大素の長男で、通称を泰太郎、のち民之助、さらに和民と改める。諱を則貽という。部屋住みのまま元治元年(1864)に使番兼学問所小司となり、同年に西洋兵学を学んでいる。明治元年(1868)2月に京都留守居役となり、同年11月に軍謀方、翌2年2月には軍政局評定方となっている。 一方、楠美親子は平家琵琶(へいけびわ)(平曲(へいきょく))前田流の伝承者としても知られている。大素は天保6年(1835)から平曲を習い、嘉永3年から翌年にかけての江戸勤番の際に接した「平家正節(へいけまぶし)」と国許で習い覚えた平曲の間に雲泥の違いを感じたため、公務の合間に平曲を学び直した。さらに安政3年(1856)11月に藩主津軽順承(ゆきつぐ)の所望により平曲を吟じ、その後平曲を嗜んだ順承とともに麻岡検校を師として平曲を学んでいる。また晩翠も、明治に入って平曲伝承が衰退に向かったことを危惧し、明治16年(1883)に「平曲統伝記」「平曲温古集」「平曲古今譚」3冊を輯録し、翌17年2月「平曲詞曲伝記略」を編んでいる。同年10月、晩翠をはじめ太素の高弟らは「前田流平家詞曲相伝議定書」を作成し、楠美家を弘前における平曲の師家として定めている。 本史料は市立弘前図書館蔵八木橋文庫(やぎはしぶんこ)の一点で、元は郷土史料収集家として知られた岩見常三郎氏所蔵の岩見文庫に含まれていたものを、昭和22年(1947)に、こちらも郷土史料収集家として知られる八木橋武実氏に譲渡されたことが、巻1の末尾に貼付された譲渡状から知られる。八木橋文庫の大部分は後に市立弘前図書館に寄贈されたため、本史料は弘前図書館蔵となった。なお、岩見氏の岩見文庫には、この精書本のほかに草稿本が2点含まれており、昭和26年(1951)に岩見文庫が弘前図書館の所蔵に帰したことにより、草稿本も弘前図書館蔵となっている。 なお、本史料は、『弘前藩記録拾遺』と併せて、北方新社が刊行した『津軽近世史料』の第3巻から第7巻として、昭和62年(1987)から平成4年(1992)にかけて、坂本寿夫氏の編によって刊行された。各巻には坂本氏の懇切かつ充実した解題が付せられており、本稿執筆においても参照した。本史料の詳細についてはそちらに拠られたい。 また、楠美家や同家に伝来する史料、平曲琵琶の相伝などについては、下記参考文献に挙げた大素・晩翠の子孫である鈴木元子氏・鈴木まどか氏と笠井百合子氏の著作・編著に詳しくまとめられているので、こちらも是非参照されたい。(千葉一大) 【参考文献】 弘前市立弘前図書館編集・発行『弘前図書館郷土史文献解題』(1970年) 鈴木元子『平家詞曲相伝の家 弘前藩士楠美家の人びと』(北の街社、1999年) 楠美晩翠(鈴木まどか・笠井百合子・鈴木元子編)『平家琵琶にみる伝承と文化―「平曲古今譚」「平曲統伝記」「平曲温故集」―』(大河書房、2007年)
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