文書名
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弘前藩庁日記(江戸日記)
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文書名(カナ)
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ヒロサキ ハンチョウ ニッキ エド ニッキ
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文書名(ローマ字)
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Hirosaki hancho nikki edo nikki
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別名
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元禄14年7月26日条
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別名(カナ)
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ゲンロク ジュウヨネン シチガツ ニジュウロクニチ ジョウ
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別名(ローマ字)
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Genroku juyonen shichigatsu nijurokunichi jo
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文書名(欧文)
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文書名に関する注記
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差出・作成者
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御日記方編
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差出・作成者(カナ)
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オニッキ カタ
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差出・作成者(ローマ字)
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Onikki kata
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宛所
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宛所(カナ)
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宛所(ローマ字)
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書写者
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書写者(カナ)
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書写者(ローマ字)
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作成年
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元禄14年(1701)7月
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作成年終
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数量
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1冊
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形状
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寸法
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寸法(縦)
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30cm
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寸法(横)
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22.5cm
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材質
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形態に関する注記
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保存状況
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縮尺
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その他の注記
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写
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言語
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日本語
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ISBN
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ISSN
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主題
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主題(カナ)
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主題(ローマ字)
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関連する地域・場所
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関連する地域・場所(カナ)
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関連する地域・場所(ローマ字)
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関連する人物・団体
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関連する人物・団体(カナ)
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関連する人物・団体(ローマ字)
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内容年
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1701
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内容年終
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内容
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内容(カナ)
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内容(ローマ字)
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解題・説明
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弘前藩の公式藩政記録「弘前藩庁日記」(文献によっては「弘前藩日記」とも)には、国許における行政・司法・人事をはじめとする政務全般の動向を記した弘前城中での記録である「御国日記」(「国日記」とも)と、江戸における幕藩間交渉、藩主の交際、江戸留守居役の交渉、藩邸内のできごと、国許との連絡事項などを記した江戸屋敷(上屋敷)の記録である「江戸日記」の2種類がある。後者は江戸での火災を回避するため国元へ送られ、多くは弘前に保管されていた。記載期間は寛文8年(1668)5月11日の信政江戸到着に始まり、慶応4年(1868)2月晦日(30日)まで約1200冊が残されている。なお、「弘前藩庁日記」には写しや破本をどのように数えるかで文献によって冊数に差異がある。福井敏隆氏(弘前市文化財審議委員会委員長)によれば、冊数は「国日記」3308冊、「江戸日記」1226冊であるという。 「弘前藩庁日記」には、藩政執行の上で先例を参照するためという目的があった(「日記役勤方之定」『新編弘前市史』資料編近世1、787号史料)。つまり、藩政執行上必要な行政文書として保管され、実用されていたのである。「国日記」は、藩の各部署で作成されていた記録の記事が集大成されたものであり(「国日記」天保3年6月28日条)、また「江戸日記」も同様に江戸における諸種の留書を整理したもので、したがって、史料としては二次史料として位置づけられる。 「国日記」の記載内容は、月初めに、その月の月番である家老・用人・大目付・寺社奉行・郡奉行・町奉行・勘定奉行・物頭・青森在番の人名が列記される。日々の記事は、月日と天候が記されたあと、その日登城した家老・用人・大目付の人名が列記され、次に祭祀・仏事・行事や藩主の公的行事についての記事が記される。以下は順不同で、藩士の任免・役替え・家禄増減・家督・改名・縁組などの武士身分に関わる事項、武士のみならず町人・百姓身分にまで及ぶ賞罰記事、各方面の申し出・届け出・願い出とそれに対する対応、そして江戸からの飛脚の到着と、その飛脚がもたらした書状の内容などが記され、最後にその日の御城当番の人名が記されて終わる。「江戸日記」は、月初めに月番家老と用人名を掲出し、日々の記事は、月日天候、その日の当番用人名を記して、以下本文の形式は「国日記」同様である。 藩政組織には、日記記録の専門部署として、「御日記方(おにっきかた)」が設けられていた。延宝3年(1675)に定められた前出の「日記役勤方之定」では、毎日各分掌からその記録を受け取って、書き落としのないように、日々記録することが定められていたが、時代が下がり、行政組織で取り扱う事項が膨大となり、また御日記方でも藩庁日記以外の諸種の記録も扱う状況になると、日々それぞれの分掌から差し出される膨大な記録を藩庁日記という形にまとめ上げることが困難になり、記事内容の省略が行われたり、清書の滞りを促進させたりする措置がとられたりしている(なお、「弘前藩庁日記」については、筆者が執筆した『新編弘前市史 通史編2近世1』233~235頁の記述をもとにしている)。 本史料は元禄14年(1701)7月の江戸日記であるが、旅先で命を落とした弘前領民の扱いについての記事が、7月26日条にみえる。 この前日25日、弘前藩の江戸藩邸に、越前福井藩松平兵部大輔(ひょうぶだゆう)(昌明(まさあき))の留守居役(るすいやく)松原喜左衛門が、弘前藩の留守居役勝本藤右衛門を訪ねてきた。松原の用向きは、弘前藩領藤崎村(現南津軽郡藤崎町藤崎)に住む百姓(斉藤)仁右衛門夫妻が伊勢・高野詣に赴く途中、6月18日に福井城下の町人久太夫の許に宿泊し、その後上方に旅立ったが、京都で発病し、7月14日駕籠に乗せられて福井に到着し、再び久太夫の許に宿泊した。この事態に福井町奉行はその滞在を許可し、医師・鍼医なども世話して加療させたが、その甲斐もなく翌日仁右衛門は病死した。仁右衛門は通行手形や寺請証文(てらうけしょうもん)という5通の文書を所持しており、松原は福井から送られてきたこれらの文書を勝本に確認のため提示した。 この一件は勝本から藩主津軽信政に言上された。信政の指示により福井藩邸を勝本が訪ね、福井藩の対応に対する謝意を言上させている。また8月24日出立の飛脚で国許にこの文書の写が送付されることになった。 「江戸日記」にはこの件の経緯とともに、仁右衛門が所持した文書も書き写されているが、『新編弘前市史』通史編においてクローズアップされているのは、このうち寺請証文と呼ばれる次の文書である。
藤崎村斉藤仁右衛門与申人、代々檀家ニ而当寺旦那ニ御座候処実証也、若以来吉利支丹之由於御座候者、何時成共拙僧罷出、急度申分可仕候、為其寺請状如件、 津軽 貞享三丙寅年六月三日 川龍院 所々御奉行衆 (読み下し文) 藤崎村斉藤仁右衛門と申す人、代々檀家にて当寺旦那に御座候処実証也、もし以来吉利支丹の由御座候においては、何時成共拙僧罷り出で、急度申し分け仕るべく候、そのため寺請状件のごとし、 津軽 貞享三丙寅年六月三日 川龍院 所々御奉行衆 (本文意訳) 藤崎村の斉藤仁右衛門という人は、代々当寺の檀家であり、寺の経営を維持している旦那の立場にあることを証明します。もし今後キリシタンであるということが指摘された場合には、いつでも拙僧が参って必ず申しわけをいたします。そのことをこの寺請状で保証いたします。 寺請証文は宗旨手形(しゅうしてがた)、寺手形、寺請状、寺証文、寺請往来(てらうけおうらい)ともいう。江戸時代前期、寛永年間(1624~1644)に、キリスト教の禁教が徹底される中で、寺院が、檀家(だんか)として組織された人々に対し、檀家であり、キリシタンではないことを保証する寺請制(てらうけせい)が成立した。この制度の下、すべての人は檀那寺(だんなでら)とよばれるいずれかの寺院に檀家となることを強制され、毎年、宗門改(しゅうもんあらため)と呼ばれる調査が行われ、宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)に登録された。檀那寺は一つに限定されており、容易に変更が許されなかった。したがって、人々が宗旨を変更することも許されなかった。檀那寺が発給した寺請証文は、現代でいえば個人番号カード(マイナンバーカード)や身分証明書にあたるもので、旅行の際はもちろんのこと、転住や寄宿、奉公、結婚、宗門改、借家、家屋敷の取得、死亡埋葬などに必要なものであった。 「江戸日記」に記された寺請証文の写しによれば、仁右衛門の檀那寺は、茂森にある曹洞宗石流山(せきりゅうざん)川龍院(せんりゅういん)(現弘前市西茂森1丁目)であった。発行年が貞享3年(1686)と15年ほど前のものであることについて、江戸日記では先年仁右衛門が他国に赴いた際に川龍院から発行されたものであろうと推察している。(千葉一大) 【参考文献】 藤井学「江戸幕府の宗教統制」(『岩波講座日本歴史』近世3、1963年) 圭室(たまむろ)文雄編『日本仏教史 近世』(吉川弘文館、1987年) 『日本歴史地名大系 第2巻 青森県の地名』(平凡社、1982年)
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解題・説明(英語)
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来歴
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来歴(英語)
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所蔵機関
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弘前図書館
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原資料の所在地
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弘前図書館
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資料番号
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通史3-246
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管理記号
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TK215-2-181
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カテゴリ区分
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文書・記録
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資料種別
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古文書
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資料分類(大分類)
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津軽家文書
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資料分類(中分類)
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弘前藩庁日記
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資料分類(小分類)
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文化財情報
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manifest.jsonへのURL
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参照データ
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自治体史掲載
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川龍院寺請証明の江戸日記記事(『新編弘前市史』通史編3(近世2) 第8章第三節)
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