解題・説明
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水戸藩では、2代藩主徳川光圀(とくがわみつくに)(1628~1700)によって創められた歴史書『大日本史(だいにほんし)』の修史事業に端を発し、18世紀後半以降、内憂外患(ないゆうがいかん)と称される幕藩制国家の危機意識のなかで、「水戸学(みとがく)」と呼ばれる独特な思想体系が確立した。この思想は、朱子学を基盤に置きながら、神道や国学(こくがく)の思想も取り入れ、歴史を尊重し、尊王思想(そんのうしそう)と国の在り方という観念の強調、そして日本史上における権力の正統性の問題に強い関心を示す点に特徴があり、幕末の尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)に強い影響を与えた。 この『皇朝史略』は、水戸学の思想にもとづいた日本通史である。著者の青山延于(あおやまのぶゆき)(1776~1843)は、水戸藩に仕える儒学者で、寛政6年(1794)に『大日本史』の編纂所である彰考館(しょうこうかん)の雇となり、文政6年(1823)に江戸彰考館総裁となり、在任中『大日本史』校訂と出版に向けての作業を推進した。のち、天保11年(1840)に藩校弘道館(こうどうかん)の教授頭取(きょうじゅとうどり)に就任している。 『大日本史』編纂に従事していた延于は、それがあまりに浩瀚(こうかん)で、日本史を初めて学ぼうとする人にとっては通読に適さないと考え、『大日本史』の内容を簡略にした本書を著作した。同書は編年体を採り、記載された事項の典拠を明示している。叙述は、『十八史略(じゅうはっしりゃく)』などの体裁にならって、逸話などを盛り込みながらも、簡易なものとなっている。また、所々に「外史氏曰(がいししいわく)」と史実に対する批評である論賛(ろんさん)を加えている。内容の特徴は、序文において「史は得失を弁じ是非を明らかにする所なり」と述べられているように、史実を事の正否や得失といった道徳主義的な観点に立って論じようとしていること、また、日本史において大きな変革につながった事象として、大化の改新、摂関政治、鎌倉幕府の成立の三つを重視していることが挙げられる。また紀伝などは『大日本史』に拠らず、評論を加えて編輯され、著者の史観が表明されている。 その構成は正続2編から成り、正編12巻は、神武天皇(じんむてんのう)から応永19年(1412)の後小松天皇(ごこまつてんのう)譲位(じょうい)までで、文政4年(1821)3月に起稿、翌年3月に脱稿し、水戸藩において文政9年(1826)に刊行された。続編5巻は、称光天皇(しょうこうてんのう)から後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の慶長5年(1600)に発生した関ヶ原合戦までを記す。こちらは天保2年(1831)に水戸において出版されている。 内容が簡にして要だったために、広く世に行われ、幕末には諸藩の藩校で教科書として使用したところも多くあった。稽古館本の『皇朝史略』は、刊年の記載はないが、水戸において刊行されて以降に弘前で覆刻されたものであるのは明らかで、正編が1冊につき2巻ずつ収録して6冊本となっており、続編は巻1から巻3までを1冊、巻4・巻5を1冊とした2冊本である。袋とじの中央部分である版心(はんしん)に書名と巻数、丁数が記され、下部に「稽古館蔵」とある。(千葉一大) 【参考文献】 笠井助治『近世藩校における出版書の研究』(吉川弘文館、1962年) 小松徳年「青山延于の歴史思想についての一考察─『皇朝史略』を中心として─」(『茨城県立歴史館報』4、1977年) 水戸市史編さん委員会編集『水戸市史』中巻(三)(水戸市役所、1983年) 山川菊栄「『皇朝史略』をめぐって─延于、幽谷、蓮亭と哀公─」(『覚書 幕末の水戸藩』岩波書店、1991年) 石毛忠・今泉淑夫・笠井昌昭・原島正・三橋健代表編者『日本思想史辞典』(山川出版社、2009年)
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