保曽の緒集

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 叙
 むかし晋の羊祜常に峴山の勝景を愛
 し終日吟行して倦事なし卒するの後
 人々其徳を感ししるしの碑を建て其
 霊を祀りしより望むもの涕を流さ
 さるはなし杜預因て堕涙の碑と名つく
 そも々々ことふりにたれと我祖翁花屋
 裏に易簀有し後嵐雪か筆をもて

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 一塊の石に彫伊賀の国上野なる愛染院の
 境内に築しより雅客騒人斯道をしたふ
 もの爰に筇を曳て袂を潤さゝるはなし
 祖翁の遺徳祜か遺愛ともに一徹にして
 今に至り人心に染かゆゑなりされは此
 故郷塚ハ本朝の堕涙の碑といはんも過
 当にはあらしかし今年癸卯の冬十月
 十二日ハ一百五十遠忌の正当なれハ長月庵
  
 の主蓬室まめたちて同士をかたらひ
 塚の根笹刈低め垣の糸萩ゆひあらため
 栞戸左右に開きて卯月十二日大会とり
 行されや例の俳諧は蓮の糸の三筋
 よすちにつらなり手向の吟声ハ蝉か音
 のしくれを誘ふ椎の若葉にまさ/\と
 俤の立添て先たのむ其日の法莚遂
 なかりしとそ其吟詠あまたなるを

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 松の散葉かき集て一冊子となし
 是か序詞あらん事を乞因て以てその
 よしをつゝり再涕をそゝくものは
 祖翁終焉の地五世の劣孫花屋庵の主
 鼎左謹て識すと
  
  天保十四年癸卯夏四月