百人一首基箭抄

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  ○伊勢 祭主輔親女
      上東門院女房   仍号伊勢大輔

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   系図大中臣能宜ノ下アリ上東門院中宮ノ時候スト云云
     いにしへのならの都の八重桜
     けふ九重ににほひける哉
  
 詞花集第一春部。詞書に一条院御時。ならの八重桜
 を人の奉けるをそのおり御前に侍りければ。其花を題
 にて哥よめと仰ことありけれはとありもと八重桜は
 奈良の都にのみありける也。それを詞書の如く一条院に
 献しけるを題にて当座によめるうた也。古の奈良の都
 とハ人王四十三代元明天皇よりはしまり四十九代
 光仁天皇まて七代有しなり。しかるを桓武天皇延暦
 三年十一月に山城国乙訓の郡にうつして長岡の京
 と号し。同十三年十月に今の平安城にうつさるゝ也
 されば奈良の都を平安城にうつし給けるより益(ます/\)王―
 道もさかんなる故に。古のならの都の八重桜も。今の都
 にてハ一きはいろをまして九重に匂ふとなり。九重とハ
  
 内裏を云也。君の門九重ある故となり。長蘊古。大
 宝箴。壮九重於内[云云]玉簪曰。天子ノ門有九謂開門
 凌郊門 近郊門 城門 皐門 庫門 雉門 応門
 路門 象天ノ有ニ九重アル 玄旨曰古郷の桜時にあへる心類
 なきなり。しかも八重桜を置て今日九重と云る当座
 のことわざ奇特の粉骨也