貞室・蕪村等筆「貞徳終焉記」

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大正三年一月五日大坂露
石ノ家ニテ月斗素石鬼史
等と共にコレヲ見ル何カ題
セトノ事ニテ有合セノ句一二
大地より霜を
  さゝげて高菜哉
いつの間に水草(生ひ)て
める哉
          虚子
 
蝶鳥のしか/\
寒し筆の跡
霜月の望の
むかしや雪ちりて
眼のあたりにその
かみを見る寒さ哉
不夜夜半
筆をつらねて
寒さかな
年の瀬の
しくしもに読む
易簀記
大正三年十二月丗日
枯菊の宿
にて
青々
 
貞徳忌霜の
十五夜
あたゝかに
貞室忌こゝに
報恩の筆
かなし
太祇忌や
人事を選む
ホ句の題
極月の梅の
匂ひや春星忌
嘯山忌嘯山の
詩にほとときす
この巻子預りて
一年怠り
しには非らず
慎たればなり
笑ふ事をやめよ
大正四年
十月廿五日
秋時雨の昼
素石
 
 
蝶鳥のやさはふゝる都人の誰かれもてあそふ
ひな人の愛らしきおもひをはこひこゝろを
よるのとのつかはしめたまふる稲荷町に
かうはしき蘭菊の花さきの宿ありある
しの翁は逍遊軒貞徳居士とそいふめる
先祖はこと/\しき特(コトイ)うしの摂津国高槻
の郡司入江の五郎政重公の孫ちやくし
松永々種の長子なりその徳のたかきことは
おとなしき門人猿手もて筆のまめやかに
しるしぬれはこゝにはもらしつ我国の風俗
やまとうたの道にふけりおはせしあまり
滑稽のことわさをなむ常にこのみてさかし
をろかなるよの人の耳のひくりとする
句をはき給ふことたひ/\にをよへりされは
はら/\と降くるあめの下のすきものも
このおほ木の陰によらぬなくあつき日なたに
たかれる誹諧士も此なかれをいたらさるはなし
されとその道なかはにしてなつみその功おへ
すして師命にそむきしも侍りとかや
やつかれいかなるすくせにやいとわらはより
なれつかふまつりてことし二十九ねん
この道にあしさし入ては二十六年一日もその
御こゝろにたかはすをるところはひわたるはか
りなれと近たのめせしくやしさいたつらに
宗祇の蚊屋にねゝせしにことならすしかは
あれとつれなうすき侍しを哀れかり給へる
なるへし十とせあなたに半松斎宗養より
みよしの近作、長慶公へたてまつり給へりし
つらね哥のことかきたりしふみ三帖御けいし
松永霜臺伝へたまひて甥の永種うけつき
此翁にわたし給へりしをみつからに
たうひぬ又二とせあなたのはつきに誹諧の判
詞をこひ侍る人あらは点を合せよとゆるしの
ふみ下してやかてその竟宴を華開にて
とりをこなはせたまへりし翁の発句
  てんなかく地ひとほむるや穐の月
ふかししをんの華の夕露
と脇つかふまつり蝠才西武なとそのむしろの
人々にて百韵みち侍しことけにおほけ
なけれと糠舟のわたし守ともおほしいれ
たる成るへしこその此ころにや一万句の興行
おもほしたちてこゝかしこより発句つとへりし
中に
  雪霜の花のやよひはしはすかな
と申せしをいといたうめてたまひて是万句の
巻頭になむさたむへしされとそこより
おさ/\しき人のともあれはうらみをいふめるか
侘しけれはあなかしこ成就せんまてはもらす
へからすと口かためたまひしもかたしけなの御こゝろや[あちきなのわさや(見消チ)]
かゝる高恩これのみならすおもへは涙もとゝ
こほらぬ冬のよなりやそのよはひよね一御
れうの御名におさ/\をとるましけれとほきたる
こゝろ露ましらすたかきいやしきなそへなく
いつくしみたてゝ物ならはせたまひし京田舎に
すてに千人にをよへりと語たまひしか又みつから
のむかしより物まなひ給ひし人/\のおほんため
とて白河のほとりに芦の丸やをつくり庭を
柿園とかうし人麿をはしめたてまつり歌仙
の御影をうつし報恩蔵といふ額かけて法華
千部を納め常に燕雀やうの籠鳥を放ち給へは
人放生園とよふそのかたはらに旧友の詩哥を
かきて軒にかけ双へ吟花廊と名付てとしことの
八月廿日に門人集り歌よむは黄門定家卿
法印玄旨公の御忌月おなし日にあたらせ給へは
なりことしの穐もその会とりをこなはせ給ひて一日
ありて二十二日の寝覚の枕にそつと引たまへりし
風のおとろ/\しうはあらてわらはやみのやうに
侍しは是そ二たひちこに成たまふへきはしめと
をしはかるにたゝ五六日のほとにいとうつし心
なかりしかは孝子昌三むまこの昌易永三ひこの
山城守したしきかきりをの/\足を空にまとひ
きつゝ薬のこと何くれともてさはき侍るしるし
にやいさゝかをこたり給ふやうなれと高野聖
のうしろにせまりたる老の命なれは熊野比
丘尼の腰にさしたるひさくのえもとゝめかたし
過にしおり/\かゝるあつしさ侍しかと
やかてをこたり給ひしにめなれてよるひるのみや
つかへうとかりしもはかなのあひなたのめやまふて
くる人/\うとからぬかきりこと/\に物のた
まはゝこゝちなんつきぬへきといとひて誰も/\
おましをさけてたいめしたまはねとやつかれ
まふてましかはのたまひをくことありとて
霜月朔の昼つかたいとちかうめしけるほとに
すひつのもとにはひよりこはつくれは人にいたき
おこされ給ひて行末のことのたまはせし中に
さいつころ門人誰かれにあつらへつけて作らし
め給へりしはいかいの集いまくやむことのみおほけ
れは此たひわかほいのことえらはむとてあつめ置し
発句はや千四百句にもをよひなんを泥亀の
よはひにくらへて一万句にみち侍らんとおもひ
しかと翅みしかき老靏の命のむけに
けふあすに成侍れはやくなしされとそこに
あれはうしろめたからすいかにもしてこのほい
とけてよわれなく成ぬとてくちおしくおもひ
くつをるるなといとねもころにおきてしたまひ
つゝてにをは相伝の書一帖今まてのこし
をひたまへりしをそへて渡したまはすかゝる
こと聞つく人はにくしをのかうへほめかちやなてう
よになし物のしほからしなとむつかるへ
けれとさりとて雪の中の芭蕉ならねは
かんなつきのしくれの袖に過るにても見よ
三日には祈祷の会もよほして三寸なと奉りしを
よろこひおはすへし八日元次をゐてまふて侍るに
御こゝちよろしとてちかうまつはしつゝかはらけ
めして我よはひをあへ物になとかうはしきけし
つふのこま/\といたりふかき御いさめに今は
はやたゆみはてたまふにやとうれしくて二三日
うとかりしほとに十五日のあかつき門たゝく音
のひしりと寝覚の耳にいりぬあはやと胸
つふれ帯しとけなう立出ていかにやととへは
このよなむいたうおもらせおはすといらへてはし
りかへるやかてつゝひてまかりけれは屏風
をしまはして孝子孝孫のほかに人ちかつけす
いかならむとむねをおさへ手をにきりある
かきりさゝめきつゝほとけ神をいのり侍れと
甲斐なくて朝露にきえをあらそひたまふ
辞世はなかりつるやといへははや十二日のよなん
よみてわらはへにかゝせ給へりしといらふけに
そよかはかりのうた人のたゝにやは有へき
  露のいのちきゆるころもの玉くしけ
   ふたゝひうけぬ御のりならなむ
御からおさむへきところなとのたまひ置し
かとかたふたかりぬこゝは神のやしろあなれは
とくほかにうつし奉るへしとてそのくれつかた
鳥羽実相寺にやなといふに雪こほすか
ことうちゝりてそゝろ寒し円位上人の
華のもとにてと読たまひしはきさらきの
もちこれはしもつきのかんさらしのもちの
日なり御いみにこもらんとてきませし大
とこのすね/\しきこゑしていて此雪よ
翁の常に信したまひしほくゑのくとく
をあらはすなるまかまんたらの花房成へしと
いへるもすせうなりや
  雪の華もふるや娑婆即寂光土
心おさめぬほとのくちすさみは人聞ゆるしてんや
ことなることなき乗物にをしいれすさしたし
きかきり四五人やつしたりあしよはき我
とちは一時はかりさきにたちてゆくにつくり
みちのほとにて月華やかに出ぬ今なん京
をあかれたまふへきとかへりみかちにて寺に
入つゝまはらなるすのこにとはかりしりかけて
なかめ侍るにいにしころまさにこゝにきつる
やうにて庭のたゝすまゐのさなからみし心ち
し侍るは夢にてやありつらんそはうつゝにて
いまは夢やらんしらすそやうち過るほとに
寺に入たまひぬ乗物なから仏のまへに
すへたてまつりて人/\つとつきそひつゝ
かたみにはなかみわたすひとつ火かゝけたれと
さうしのやふれもりくるかせにまたゝきて
くらし夜明侍らましかは京よりみちくへき
人に物けなきさま見せんもひんなかるへし
此よのほとに御からはおさめてはうふりのきし
きはあす巳の時とさためてとあるくまに
うつし物なれたるほうし二人お湯○なと[ひかせ(挿入)]例の
ことなれとある人むせかへるつねには物/\
しかりつるかたちのいたうやせほそりて
たゝちこのさましたまへるは春夏わかて
おんそかちにおはせしを見なれ侍りしゆへ
なるへしつきせぬ泪の玉たれのこかめに
をしいれたてまつりふたとりをほひ口ぬり
こめからめひたるひつきにうつして御堂の
にしの庭にふりたる松わかきのさくら
なとはへるかもとにすへてさかしたつ
をのこ鳥羽田の農具ふりあけつゝいとふかう
ほりておとしいれつゝつちかききせ塚きつき
あたらしき卒塔婆にうつもれぬ名を
かきてしきみおりかけなとはかなきさま
にそ人/\かいつくりさくりあくるたひら雪
とかひら/\とふりて寒かりしほとに
御行衛のいかにやとかなしく
  雪になにと死出の山路の独旅
心にすしてたいまつる月たかうさし
のほりて隅そなきけにあふけはそら
にとよみしあはれもいまよりのちの身に
そしりはへるへきかうあらかねのつちに
うつもれはてたまはんとかねてやおもほしけん
はやう読たまひし狂哥
  月ゆへにいとゝ此よにゐたきかな
  つちの中てはみしとおもへは
とはけにもさありやよも明ぬれは京より
御はうふりにとてこれかれ入きて立さはく
葬送のきしきいみしうしたゝめて
ときやうおはりぬかのはるけきみちまふて
こし人/\いつれも此おほんめくみうけ
たまひしとちなれは[をのかさま/\(見消チ)]焼香
しをのかさま/\あかれ侍るも名残つきせ
すかし花開にはちふつきよらにかさり
供物ところせうそなへていますかことなる
御みやつかへもけに名たゝるすさのみち
れいのことなれとあはれなりみつからも御
いみにこもらましかといとましなけれは
よひ/\ことに此御影のまへにきてぬか
つくにいつの会にはこゝのさうしのもとに
かくておはせしよその時はとありしよかう
のたまはせしよなと御おもかけみたて
まつるやうにてわすれかたし長絹に
指貫きてにこりにしまぬ蓮葉もたまへる
御すかたをあしかきのまちかきわたりなる
岫雲うつしたうひけるを程なき家の壁に
かけてわたくしのみやつかへし奉るいまは
歌舞のほさちに囲繞せられて弘き誓ひ
のふねに棹のうた謡ひつれてくるしみの
海はるかにこきはなれおはすへけれはこの
あたことははつかしけれとわらはよりをしへ
たてたまひしみちうしなはぬ斗を孝行に
そなへ侍らんと独唫に百韵つらねて牌
前にさしをき一ひねりくゆらかし侍るを
あはれみおもほして青き蓮の御瞬を
めくらし猶この道の栄へを守らせおは[ま(見消チ)]し
ませといのるものならし
 
腐誹子正章上
 
 ふまし猶師の影うむる松の雪
 うす氷ゐる寺の濡縁
 つりかねも冴る暁起なれて
 茶ことに数奇の友たちの袖
 さはやかに見えぬる雪駄木綿たひ
 天気よろしき町の末/\
 月にひらく綸旨に小田をつけられて
 こゝろのまゝにはれる鴫網

 夕霧にかくるゝくつね追はらひ
 大将とのや弓弦うつらし
 頼朝の御舘のうちに口よせて
 蛭か小嶋に蛭をかふ袖
 竹の筒波になかれて伊豆の海
 油買ぬる舟やわるらん
 堂守か振ふてたてる岩の上
 たけき不動の崇ます時
 調伏の験を月に顕して
 むくりは露ときゆるとそきく
 蓋とりて引しや秋のやいと風
 まはらなりける湯山の家
 物よしもきて詠めぬる庭の花
 しはかれこゑてうたふ梅かえ

 霞をはあまりにつよく汲すこし
 腰のかたなをすはとひんぬく
 若衆のおそはて股をまくり上
 涙の川をおひこさんとや
 心から恋の重荷をつくりそへ
 煩ふとても薬のむまひ
 百まてのよはひは稀なことそとよ
 はさめ何せんそのつくも髪
 虱ほといふせき物は又もあらし
 いねくるしやな乗合のふね
 しつかりと膚につけたるかね袋
 ところのあなひしりて落人
 月くらき夕の山に這入て
 かるもの露やなむる石亀
二ウ
 ひやゝかな流れて洗ふ泉郎衣
 比丘尼の寮て子をおろひたか
 時守寺は乱行なりとはらはれて
 襟には躍るむねのみ
 前渡りする後妻にはしりつき
 そはめて袖にもてるすりこ木
 きんかりとはやすは宇治の祭にて
 鱣のすしはのせぬ俎板
 膳棚のほとりに穂蓼薯蕷
 庫裏にも庭の露そこほるゝ
 黒まぬや聖人のみる宿の月
 鳳凰の羽に雲払ふらし
 竹藪にをこりて渡る華のかせ
 耒をつかふ桃の下陰

 繋くうしの鼻綱永き日は出て
 山家の聟やいねすこすらん
 恋風にさめてあやなき芋の粥
 お中の虫とともに音になく
 かいほそな養ひ君をたきかゝへ
 かちてまうつるうふすなのみや
 荒薦の上にこのころふしなれて
 せゝらるゝをもさのみかまはぬ
 有か中にうつくし過た人こゝろ
 更衣のわかれおしまぬはなき
 追出しの鐘まて春てさふらふそ
 およれよ腎は月も霞まし
 あたゝめて鯢のたけり又すはん
 くれ[ね(見消チ)]るふりはいつ山の神
三ウ
 詠めはや八幡まいりに女陪従
 淀野はあれて秋の興なき
 もちいひく鼠の音は冷しみ
 やゝうみつきの影のこくらさ
 大黒といとおしかれと気つまりや
 すみのやまほともの思ふらし
 軍にはつゐにまけぬるあ須ら王
 珠のめしたる舟は 安穏
 情なけにうたふ河尻韓泊
 遊女は殿をたらすはかりそ
 おそろしき誓ひのふみに血をあへし
 貧報䦰はゆるされてけり
 人みこく神やうけさる華の春
 親かう/\なこゝろ長閑き

 餌を運ふ巣立の烏愛らしや
 鵜はうきありく山河の末
 短夜は波にしらりと明はなれ
 夏祓にやひまをとるらむ
 立秋の歌は麁相に読捨て
 暮ぬといそく七夕の礼
 月の前につく/\双ふ鞠の友
 坐禅の床の眠きさすな
 なま壁をつけ渡したる方丈に
 田楽もとく出すや粟飯
 日の中にすます日吉の神祭
 いさ比叡辻て一よ明さん
 剃たてしつふりにあつく綿をきて
 地蔵ほさにはほれ気もそさす
名ウ
 千話文もかくや閻魔の筆つかひ
 祈るやしろの宝前そこれ
 常陸帯さも尋常にこしらへて
 田をこそ作れわかき五乙女
 暇あれやさしうつふひて水かゝみ
 手はなす鷹はとちへそれぬる
 華の雪又ほんの雪降空に
 それももちの日きえし西行
 
  承応弐年
    暢月下浣日
 
 
一嚢軒貞室はしめ正章といひし
より逍遊軒にまめにつかえ句をなして
師意にすこしもたかはすよく習入て正体を
たて本心をそなへ作意を千里の外に
もとめこせことを嫌て三句めを大事に
かけて守れりとなん老になれるほと句体
やすらかにして師前に廿六年一事も
そむかす誹道の奥秘三巻の書もの
こらすつたへられたり逍遊軒の門に
ありとある人の中ひとりちひとほむるやと
居士の句をなして証とせられ侍りされは
こそ花の吉野鮎の嵯峨峨々と高く
万世にかゝみとしてその世の調のうちひとり
亭々たるものなりこの翁死前にその
句々かひたるたんさく反古やうのものまて
もとめあつめてやきすてられしとなん人の
つたえいふめりさるを此一書やふしきに
まぬかれて今五畳庵に見るのさちを
よろこほひていさゝかこゝにそのよろ
こはしきをいふ也その言のあまりとなん
しへかり
          不夜庵 太祇
 
これは/\鳥羽田にあさるかりかねの
ふみたかふへくもあらぬ貞室翁の
真跡也けり泰里のぬしこのみちの
すき人にてあなれはかうやうのたとき
もの数もつくさすひめおかれけるまことに
煙雲の眼を過るには似もやらす
蝶鳥の花に集る類ひなりかし
それか中にもこれらや奇き一の
たからなるへし
     明和庚寅水無月   蕪村鑑定
 
室叟者俳家者流之一雋人也
不然則当時豈能独卓爾於
綺蘼雕縷之中耶予嘗為叟之
開天真之端也貞元諸子実有
依焉者此之謂也江都橋泰里
遊洛近得叟之真蹟一軸乃長
頭翁易簀記也因請二三知己一
言徴之予也雖麤於鑒裁而其文
章雅馴筆意醞籍暗中摹索
亦可識也於橋子其珍之矣
 
   明和庚寅閏六月
 
         平安 宅嘯山
 
 
貞室の句の世に存するも僅々
数句に過ぎず況哉その真蹟に於て
をや更に長文の名巻に於てをや
真に驚魂駭魄に値するもの有
泰里は江都三俳人蕪村几菫と
親交ありそもいづこにてかゝる珍品を
獲来りけむ然もそを遊洛中に
於てせりと言ふにかたりては三老か羨望
之さま自ら筆外にほの見ゆるも
宜なりけり
幸ひに人事天事の災害をまぬがれ
二百余年の星霜を経たる今日
我等も寓目の栄を得つる寔に
至幸といはざるべからず豈たゞに
垂涎千丈とのみ言はむ哉
   大正三甲寅暮秋
      浪華 露石書
 
伊万里漪園老主余に示さる
るに一俳巻を以てす開巻通
読貞徳終焉記を貞室の
ものせる也こは稀物よと見も
て行きけるに天明の俳傑
蕪翁太祇嘯山三家の筆あり
いよ々珍宝なりけりと賞観し
けるに漪園老曰巻の表装
を新たにすべく余に一任しつ序
に余が友人にも一筆あるべしと而
前後に余白を附け各家に
毫を拝はせけり恨くは元禄
の蕉翁明治の子規居士の筆蹟
を収めたらんには我俳界歴史
を全ふせしものをと返す/\も惜し
き事にこそ
  月花のかくて経に
  ける 昔なれ
大正七年霜月念七漪園茶
房にて□□□□□翁と談笑裡

        浪華月斗識