木造如来坐像 附石造基壇
【指定区分】 | 国指定 |
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【種別】 | 彫刻 |
【所在地】 | 富永 |
【指定年月日】 | 昭和50年6月12日 |
解説
頭部は一材から彫成し、頚部の下端を体部に差し込み制作している。切れ長で抑揚のある両眼、厚めながら形良くまとめられた唇など、大作にふさわしい悠揚とした落ちつきある表情をしている。内刳部などに「大和尚南無阿弥陀□」「大仏師安阿□」の墨書のほか、多数の結縁者の交名が確認できる。大仏師とは快慶のことで、銘記の体裁から重源・快慶の一連の造像とみられ、制作年代は建仁3年(1203)頃と考えられる。なお、体部は京都の仏師祐慶による江戸期の補作である。石造基壇は、毬とたわむれる獅子や童子などが浮彫で表現され、作者には重源に請われて東大寺の再建に参加した宋人陳和卿の付き従った宋人石工集団が想定されている。