中馬野の寛永山論文書

【指定区分】 | 市指定 |
---|---|
【種別】 | 書跡・典籍・古文書 |
【所在地】 | 中馬野 |
【指定年月日】 | 昭和56年9月4日 |
解説
馬野郷(奥馬野村・中馬野村・坂下村)と広瀬村・川北村の間で寛永年間(1624~1644)に発生した山論に関する文書4点と、寛文2年(1662)に馬野郷と滝村の間で交わされた山論の内済(和談)証文が残されている。寛永年間の山論は、その解決が幕藩体制下における一元的な裁判制度への移行期に発生したもので、文書には依然として中世的な自力救済の様子がうかがえる。中馬野の寛永山論文書
【指定区分】 | 市指定 |
---|---|
【種別】 | 書跡・典籍・古文書 |
【所在地】 | 中馬野 |
【指定年月日】 | 昭和56年9月4日 |
解説
馬野郷(奥馬野村・中馬野村・坂下村)と広瀬村・川北村の間で寛永年間(1624~1644)に発生した山論に関する文書4点と、寛文2年(1662)に馬野郷と滝村の間で交わされた山論の内済(和談)証文が残されている。寛永年間の山論は、その解決が幕藩体制下における一元的な裁判制度への移行期に発生したもので、文書には依然として中世的な自力救済の様子がうかがえる。