法華経塔

| 【指定区分】 | 市指定 |
|---|---|
| 【種別】 | 歴史資料 |
| 【所在地】 | 服部町 |
| 【指定年月日】 | 平成13年4月24日 |
解説
嘉永7年(1854)の安政伊賀地震では上野城下に大きな被害があり、多くの尊い命が失われた。犠牲者を弔うため、安政2年(1855)の一周忌法要に合わせて服部川左岸に法華経塔が建てられ、地震の概要と塔建立の経緯が刻まれた。平成13年(2001)の法華経塔移設に際しての調査では、塔の基底部をなすドーム状の基壇から、法華経や多数の礫石経、土師器皿、寛永通宝が出土している。法華経塔

| 【指定区分】 | 市指定 |
|---|---|
| 【種別】 | 歴史資料 |
| 【所在地】 | 服部町 |
| 【指定年月日】 | 平成13年4月24日 |
解説
嘉永7年(1854)の安政伊賀地震では上野城下に大きな被害があり、多くの尊い命が失われた。犠牲者を弔うため、安政2年(1855)の一周忌法要に合わせて服部川左岸に法華経塔が建てられ、地震の概要と塔建立の経緯が刻まれた。平成13年(2001)の法華経塔移設に際しての調査では、塔の基底部をなすドーム状の基壇から、法華経や多数の礫石経、土師器皿、寛永通宝が出土している。