安政伊賀上野地震供養塔
【指定区分】 | 市指定 |
---|---|
【種別】 | 歴史資料 |
【所在地】 | 野間 |
【指定年月日】 | 平成24年3月28日 |
解説
嘉永7年(1854)に発生した安政伊賀上野地震における野間村の死者35名を埋葬した場所に、安政7年(1860)に七回忌追善法要の際に建てられた供養塔である。基礎石の上に3層の台石を重ね、その上に石碑を載せている。石碑の正面に「南無阿弥陀仏」と陰刻し、他の3面に死者の戒名、最上段の台石には3面にわたって建碑の由緒が刻まれている。安政伊賀上野地震供養塔
【指定区分】 | 市指定 |
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【種別】 | 歴史資料 |
【所在地】 | 野間 |
【指定年月日】 | 平成24年3月28日 |
解説
嘉永7年(1854)に発生した安政伊賀上野地震における野間村の死者35名を埋葬した場所に、安政7年(1860)に七回忌追善法要の際に建てられた供養塔である。基礎石の上に3層の台石を重ね、その上に石碑を載せている。石碑の正面に「南無阿弥陀仏」と陰刻し、他の3面に死者の戒名、最上段の台石には3面にわたって建碑の由緒が刻まれている。