了源上人遷化の地

| 【指定区分】 | 市指定 |
|---|---|
| 【種別】 | 史跡 |
| 【所在地】 | 丸柱 |
| 【指定年月日】 | 昭和48年9月1日 |
解説
建武2年(1335)に京都仏光寺の第7世了源上人が、伊賀からの帰途、丸柱と信楽の境にある桜峠(七里峠)で、上人の布教を快く思わない者に殺害されたと伝わる。現在、道端には「了源上人遭難遺蹟」と刻まれた大きな石柱が立ち、北に少し道をはずれた旧道の脇に「仏光寺第七代了源上人御遷化之地」と刻んだ石碑(写真)が建てられている。了源上人遷化の地

| 【指定区分】 | 市指定 |
|---|---|
| 【種別】 | 史跡 |
| 【所在地】 | 丸柱 |
| 【指定年月日】 | 昭和48年9月1日 |
解説
建武2年(1335)に京都仏光寺の第7世了源上人が、伊賀からの帰途、丸柱と信楽の境にある桜峠(七里峠)で、上人の布教を快く思わない者に殺害されたと伝わる。現在、道端には「了源上人遭難遺蹟」と刻まれた大きな石柱が立ち、北に少し道をはずれた旧道の脇に「仏光寺第七代了源上人御遷化之地」と刻んだ石碑(写真)が建てられている。