服部土芳墓所

服部土芳墓所
テーマ芭蕉と俳諧の世界
見どころ・解説 西蓮寺の過去帳に記されていながら長らく見当たりませんでしたが、幕末の地誌学者入交太郎左衛門の覚書をもとに捜索され、昭和35年(1960)に薬師堂脇より発見されました。
 土芳は、本名、服部半左衛門保英。貞享2年(1685)に芭蕉に入門し、同5年に愛宕山下に蓑虫庵を構え、俳諧専念の生活に入ります。以後、伊賀蕉門の中心的な存在として指導にあたり、藤堂藩の武家中心であった伊賀俳壇を広く町人階層にまで拡大させました。また、芭蕉の没後、その偉業をまとめました。
 墓石は、高さ70cm、幅20~24cm、奥行44cmの自然石で、表面に「些中庵浄山土芳」、右側面に「服部半左衛門保英墓 享保十一丙午(1726)季冬月 行年七十生前自記之」、左側面に「享保十五庚戌年(1730)正月十八日卒」と記されています。
所在地
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