草蒿寺跡・吉田兼好ゆかりの地

草蒿寺跡・吉田兼好ゆかりの地
テーマ和歌の国 伊賀
見どころ・解説 伊賀国田井の庄(種生)は、『徒然草』で名高い吉田兼好の終焉の地であるという伝承があり、兼好の墓と言われる塚が残されています。兼好と同時代の公卿、洞院公賢の日記『園太暦』の当時流布していた本文のなかに、兼好が晩年をこの地で過ごし草蒿寺で没したことが記されており、この説が『徒然草』の注釈書にも引用されたことで広く知られました。
 この伝承には、伊賀の人たちも高い関心を寄せており、貞享5年(1688)には芭蕉がこの地を訪れ兼好塚を見ている(貞享5年4月25日付猿雖宛書簡)ほか、江戸中期に伊賀城代をつとめた藤堂元甫もここを訪れ、「捨し身のこゝをこの世の名残とて見はてし月の影ぞのこれる」(『元甫公和歌集』)という歌を残しています。
所在地
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