テーマ | 和歌の国 伊賀 |
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見どころ・解説 | 寛弘元年(1004)、奈良の春日大社を勧請し創建された神社です。創建当初は「春日神社」と呼ばれており、明治41年(1908)に近隣の池辺宮と天神を合祀し、三郷神社、さらに「花垣神社」と名を変えました。「花垣」の由来は、この地がかつて「花垣の庄」と呼ばれていたことによります。 一条天皇の后上東門院は、伊勢大輔の和歌で名高い奈良興福寺の八重桜を召し上げようとしましたが、興福寺の僧たちの反対にあい断念、代わりに奈良の八重桜のふるさと予野から桜をもってくることにしました。それと同時に、予野に花守を派遣し、垣を設け、この地の桜を守ることにし、以来この地は「花垣の庄」と呼ばれるようになったと言われています。 元禄3年(1690)にここを訪れた芭蕉は、「一里はみな花守の子孫かや」(『猿蓑』)という句を残しています。 |
所在地 (クリックすると地図表示) | 上野エリア 花垣神社 |
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