テーマ | 伊賀流忍者 |
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見どころ・解説 | 南伊賀の土豪の修行及び評議の場とされている寺院です。天平勝宝年間(749~757)、孝謙天皇の勅願により行基菩薩が開基したと伝えられています。その後、鎌倉時代には東大寺戒壇院流律宗の寺院として、学僧が密・律・禅の三宗兼学の道を進める講経・修禅の道場となりました。かつては十三間四方の本堂や護摩堂、客殿、食堂、鐘楼などが建ち並び寺勢を誇ったと伝わり、忍者の起源の一つである修行僧や修験者の道場にもなっていたとされています。『伊乱記』には、天正6年(1578)、織田信雄の家臣である滝川三郎兵衛が丸山城を築城したことに対抗し、伊賀衆が丸山城と木津川を挟んで対岸に位置するこの寺院に集まり、丸山城を攻め落とすための評議をしたと記されています。また、翌年に信雄が伊賀国に侵攻した際にも、無量寿福寺などに会合した伊賀衆は、織田方を二度にわたって撃退しました。同9年(1581)、織田方が再度伊賀国に侵攻した際、伊賀衆の拠点であったこの寺院はすべて焼失、江戸時代になるまで再興を待つことになりました。 |
所在地 (クリックすると地図表示) | 上野エリア 無量寿福寺 |
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