伊賀国分寺跡

伊賀国分寺跡
テーマ壬申の乱と古代の伊賀
見どころ・解説 伊賀国分寺跡は、高さ約1~2mの築地基壇状の土塁に囲まれた東西220m、南北240mの範囲に、金堂や講堂など主要伽藍の基壇跡を見ることができます。金堂・講堂・中門跡は一直線に並び、講堂の北側に僧坊跡と思われる高まりが見られます。また、金堂の東側には、塔跡の基壇の痕跡も残されています。
 堂舎の建物の規模は、礎石の抜き取られた痕跡から、金堂は桁行7間(82尺)×梁間4間(44尺)、講堂は桁行7間(82尺)×梁間4間(44尺)で、いずれも四面廂付建物、塔は3間(36尺)×3間(36尺)、中門は桁行5間(60尺)×梁間2間(20尺)と想定されています。遺物として均正唐草文軒平瓦、複弁四弁軒丸瓦が出土していますが、軒平瓦は2種あり、1種は奈良県山添村の岩屋瓦窯で製作されたものです。
 なお、「貞信公記抄」の天暦2年(948)2月の記録には伊賀国の「国分寺毘沙門・金剛力士等振鳴」とあり、少なくともこの頃まで寺院として機能していたようです。
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